立原正秋『日本の庭』新潮社、1984年
『日本の庭』はほとんど「京都の庭」である。
『日本の庭』は正伝寺から始まる。「いつのとしだったか、底冷えのする冬の暮方北山の正伝寺の山門を出てきたら、風が死んでいたことがあった」という書き出しからしてすでに立原正秋ワールドである。私は「風が死んでいた」と表現することができない。
第1章から第10章までを藝術新潮に昭和51年新年号より10月号まで連載した。序の「美の再発見」は昭和49年12月号と連載の前の執筆である。
カラーの写真だけメモしておく。
大徳寺本坊方丈南庭
中潜から不審庵への露地(裏千家)
永保寺の永保寺庭
修学院離宮下御茶屋寿月観
修学院離宮上御茶屋の土橋から
仙洞御所の苑路
妙心寺東海庵方丈の庭
酬恩庵方丈の前庭
平等院鳳凰堂の前庭
無鄰菴の庭
月の桂の庭
興聖寺の庭
このうち不審庵、多治見市の夢窓疎石作庭と伝わる永保寺の庭、それと防府市の桂家の枯山水である「月の桂の庭」はまだ見たことがない。
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