『地図から読む歴史』足利健亮

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本の一部を読んだだけだが、面白かったので紹介する。

『地図から読む歴史』(足利健亮、講談社学術文庫、2012)

第17章 都市内道路名称の意味を解く

正しく問うことが必要だという。「大阪では南北の道をなぜ筋というのですか」では答えようがない。地名の由来は分からないからだ。しかし、「筋とはどういう道か」と問うことは可能だろう。

大阪では「南北の道が筋で、東西の道が『町通り』」と答える。著者は、船場地区の一つの町=道修町(どしよまち)三丁目を取り上げて、近世末の道路と屋敷割りの関係から鮮やかに示してくれる。「すべての屋敷が東西方向に向かって対面し、それぞれ数十軒の屋敷群で町を構成しています。つまり東西道路はどこも、家々が間口を開いて櫛比(しつぴ)する賑やかなメインストリート=町通りだったのです。これに対して南北の道は、家々の横壁か堀が延々と続く、通過専用の横丁というわけです。こういう道であることが、筋という族名の付けられたゆえんです。」(280頁)

なぜ、東西に強烈な意識があるかは『大阪アースダイバー』を読みませう。

京都に筋が少ない理由は、町の形成過程で両側町となったことがあげられる。あらゆる道が「町通り」となっていったためだ。

「図子」は本来「辻子」と書いた。「辻子」は「町になる前の道、家々が対面して町通りになる前の道、それが辻子」(291頁)と説明している。ヒントは「『京町鑑』に「くちなはの辻子」を説明して、松原通六道より一町程北へ行く筋、俗にくちなはの辻子とて北は安居御門跡前へ出る筋、今悉く町となる」(290頁)にあったという。

最後に、「突抜」は「既にある道の先を突き抜いて新区画を開いたという「営為」から生まれた特異な道路族名とそっけない。

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