福田千鶴『豊臣秀頼』(吉川弘文館、2014年)
豊臣秀頼のことを読むのは初めてだったが、久し振りに読み通せる本だった。
本書の課題を著者は以下に設定した。しかし、史料の少ない中で徳川氏中心史観から自由になるということは並大抵ではないと考える。
「なぜ、没後四百年を経とうとしても、秀頼の悲劇は「悲劇の物語」として語られることが少ないのか。この答えは簡単で、秀頼没後の歴史の中心にいたのが徳川氏だからである。本書ではこの徳川中心史観から離れ、客観的な立場から秀頼の生涯を解き明かすことを第一の課題として設定したい」。
色々と付箋を貼りながら読んだのだが、以下の2点が印象に残った。
名字である羽柴を使った羽柴秀頼という史料が見当たらない理由として、「源氏の嫡流たる源頼朝に名字がないのと同様に、豊臣氏の嫡流たる豊臣秀頼には名字がなかったのではないか」という大胆な説が出ている。源氏と比べるのはどうかと思うが、黒田基樹氏の仮説を実証できるだけの史料が見つかっていないことも確かである。著者も史料が出るまで自説を撤回しないと書いている。
次に、秀頼から家康への礼状である「豊臣秀頼自筆披露状(京都大学総合博物館蔵)の書札礼や贈答儀礼のあり方を読み解いて、「家康の目には、秀頼からの挑戦状と映っただろう。そして、これこそが家康に豊臣家の完全滅亡を決意させた瞬間だったのではないだろうか」と書いている。この秀頼自筆の書状の書札礼は秀頼の自尊と受け止められるということは分かる。家康の贈答に対して秀頼が返礼を欠くとの指摘は、本当にそうかのかと思う。側近とはそのためにいるのであるから。そのような非礼は当時の常識からして考えられない。
色々と楽しくなることが書いてあったので、関連図書を読みながら読んだため時間がかかった。2014年10月31日の三省堂の著者による出張講義が待ち遠しい限りである。
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