耳輪を付けた人

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  1. 入矢孝高訳注『良寛詩集』東洋文庫、2006

『良寛詩集』を偶々読んでいたら、耳輪を付けた人が出てきた。

寓作

国上山下是僧宅

麁茶淡飯供此身

終年不遇穿耳客

只見空林拾葉人

国上山下 是れ僧宅

麁茶(そさ)淡飯 此の身に供す

終年遇わず 穿耳(せんじ)の客

只だ見るは空林に葉を拾う人のみ

注)

穿耳客は耳輪を付けた人、ここではダルマを指す。

落ち葉拾いは人の言葉を拾い集めて耳食するやからの喩え。

ただし、葉拾人を良寛その人と解釈しなければ、良寛のグチになる。

古代インドでは耳璫(じとう)というイヤリングを貴族は付けていたので、御釈迦様の仏像の耳朶環が大きいのは福耳とされた。達磨もインドの王族の出身という話なので耳輪を付けている。

良寛さんは何を読んでいたのか気になった。漢文学者の入矢義高氏は道元の『正法眼蔵』を読んでいないという。当時『正法眼蔵』は写本が秘蔵されているだけで、流布していない。「夜讀永平録」という詩があるので、『永平広録』は読んでいたことがわかるという。しかし、入矢義高氏は収録していない。どういうわけか道元の『正法眼蔵』に関するものは一切言及していない(p.408)。

良寛の孤独を考えたとき、山折哲雄氏のひとりを思い出した。読み返したくなったが、簡単には出てこない。

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