曖昧な記憶

断片記憶

倉田喜弘編『江戸の端唄集』(岩波文庫、2014年)

『江戸の端唄集』をパラパラめくっていたら、十日戎の唄があって、福笹(吉兆)に付けた縁起物があげられていた。記憶とは曖昧なもので、どのようなものが昔はあって、今は何がというのがはっきりしない。来年の十日戎ではその点を意識しておこうと思った。

今宮戎神社のホームページをみた。

見つかりません | 今宮戎神社

「十日戎を象徴するのが、神社から授与される小宝です。小宝は別に「吉兆」(きっちょう  若しくは きっきょう)と呼ばれ、銭叺(ぜにかます)・銭袋・末広・小判・丁銀・烏帽子・臼・小槌・米俵・鯛等の縁起物を束ねたもので、「野の幸」・「山の幸」・「海の幸」を象徴したもの」だという。

『江戸の端唄集』の十日戎の唄は、

「十日ゑびすの売物は はぜぶくろにとりばち ぜにがます 小ばんにかねばこ たてゑぼし ゆでばす さいづち たばねのし ささをかたげてちどりあし」

対比してみると一致しているのは、

銭袋(ぜにぶくろ)

銭叺(ぜにがます)→銭を蓄えるかます、藁で作った袋

小判(こばん)

烏帽子(たてゑぼし)

打出の小槌(さいづち)

あわびのし(たばねのし)

唄われた縁起物にないものは、

とりばち(取鉢、金銭を小分けする木皿、戎さんでは赤紙で作る)

かねばこ(金箱)

ゆでばす(水煮した蓮根)→江戸末期からはいれます(お金を升に入れる)

唄われなかった縁起物は、

末広、丁銀、臼、米俵、鯛、大福帳

端唄に唄われていなかったからといって、縁起物が新しいものかは分からない。古文書や絵画史料に当たってみる必要があるのは言うまでもない。

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