長谷川櫂氏の『和の思想:異質のものを共存させる力』(中公新書、2009)は日本文化を論じた本だ。日本文化を論ずるのは恥ずかしいという気がしていたが、本書を読むと誤解だったことがわかる。
著者の主張は和を近代以前の日本文化として固定的なものとして美化することなく、さまざまな異質のものをなごやかに調和させる躍動的な力というようにとらえることだ。俳人である著者が連句の間を考察する第四章などを読み飛ばしてしまったのは、もう十分に分かった気になったからだ。
このあとは蛇足なので暇な人は読んでね。
第一章 みじめな和
明治維新を境にして、西洋との対比で和をそれ(江戸)以前という固定的なものと考えたことから、日本人の中に西洋を賛美し、東洋を侮蔑するという憂鬱な屈辱感が生まれたという。
第二章 運動体としての和
著者は谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(1933)を「西洋への賛美と東洋への侮蔑の上に成り立っている。」(p203)とみている。当時の時代背景が古き日本への郷愁をかきたてたと考えている。関東大震災で破壊された古き東京から谷崎潤一郎は「古き日本の残っている関西に移住し、その体現者あり女神である根津松子と出会い、『陰翳礼讃』を書いた」(p24)。
さて、熱海の伊豆山に蓬莱という旅館があり、あるきっかけから著者は夫人とときどき出かけるようになったが、そこで「何度か通っているうちに、初めは見えなかったもの、単に和といってはすまされないもの、それどころか、単なる和とは相反するものがしだいにみえてきた」(p37)という。和風の旅館に西洋風の調度が調和していることに気づくのである。「ふとあることに思い当たった。たしかに蓬莱は和風の旅館にちがいない。しかし、ここは通常、私たちが和と思っているものとは、別の和が働いているのではないだるか。その別の和とは何か」(p40)。和は異質のものを調和させる力だという。
「小堀遠州が、仙洞御所の庭を造ってから約四百年後、建築家の隈研吾は東京ミッドタウンという現代の最先端をゆく街の真ん中に、和紙と桐という日本古来の自然素材を使った美術館を出現させる」(p50)。何をいっているかというと、小堀遠州が、和の庭園に切石で直線的な池(西洋)を造り、西洋と日本という異質のものを調和させたのに対し、隈研吾は、最先端の街に和紙や桐という和の素材を使って逆のことを試みたといっているのである。和はいたって現在形なのである。
第三章 異質の共存
第四章 間の文化
第五章 夏をむねとすべし
第六章 受容、選択、変容
第七章 和の可能性
第5節でやっと蓬莱に話が戻ってくる。p197の「蓬莱の古々比の瀧」の写真をみるのが早いが、本がない人のために、「建築家の隈研吾は簡潔極まりない浴場を造った」(p196)。「この浴場には壁がない」(同)。「この吹きさらしの風呂は「夏をむねに」とすべき日本の家の極北にあるもののひとつだろう」(p198)。
あとは隈研吾の建築を現す言葉を探し、「「ふわりと」いう感じ、かりそめに、さらにいうと、はかなげにそこにある感じ」にとどまらない。
コンクリート打ち放しの安藤忠雄と対比して、「隈の建築は表層的である。」(p199)とか「隈は皮膚的な建築家」(同)とし、「皮膚的であるということは感覚的であり、頭脳的ということでもある。」(同)と褒め、安藤は「漢字」で隈は「仮名」ということになった。
長谷川櫂氏が隈研吾好みであることがよく分かった本。
この続きがある。
星野リゾートが旅館蓬莱を「界 熱海」として2012年7月1日にリスタートすべく改装中だという。和は運動だから、どうなることやら。
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