趣味の本

断片記憶
本は読んでも忘れてしまう。本は味わうものである。本を味わうには歴史がよいとの谷沢永一氏の助言に従って、一時期は日本中世史の本を読んでみた。本が本を呼ぶようにして読んでみたが、掘り下げるところまで行かなかった。専門ではないので、読めない史料が出てくると辛い。
外国の歴史についてはまだ手が出せていない。フランス革命に関して読み始めたが、趣味の読書とは言い難い。将棋とか山の本も何かを調べる目的のために読んだというより、目についたものを読んでみただけだったので、深く調べるという楽しみを味わってはいない。京都本も同じ理屈でこちら側に主体性がない。要は目的がないのである。調べごとで読むのは仕事で読む本だった。
常識人であることを求められてきたから、世間の常識と乖離することはリスクとなる。判断は相当と言われるレンジに入っていなければならない。要求事項についての適用指針をもって世の常識に照らして判断したロジックが妥当なものでなければならないので、常に反論を自己の中に持っている。なぜ、それでよいと判断したのか。
趣味の読書の話なのに、仕事の延長が顔を出している。
情報セキュリティの本も、暗号の歴史を扱った本は残して他は処分したことで、仕事で読む本ではなくなった。主体が変化すれば、客体も変化する。

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