『英語で考える』(1974)

Goinkyodo通信 読書時間

松本亨『英語で考える本』英友社、1968年、1974年第17刷

半世紀前の本である。松本亨氏が「英語をやるなら、英語で考えよ」ということを書いた本である。
当時は「日本人が日本語以外の国語で物を考えるということはありえない」と批判されたという。

かなりpracticeが入っているので、主張の部分だけを読む。

「私が「考える」という動詞について,くどくどいってきたのは,一口に「英語で考える」といっても,それは日本語で考えたことを英語に直すことではない,ということを言いたかったからである。
即ち,英語で考えるということは,ことばの語順がちがうのはもとより,考える方法にもわれわれの伝統的な考え方とは違ったものがある,ということである」(p.26)。

「世の中で「和文英訳」とよんでいるものは,いかにして日本文を英文に直すかに終始しているようであるけれども,英語を作るとき,日本文を基礎にしては英語はできないものである。英語を基礎にすべきである」(p.31)。

日本人の中で通じる日本人のロジックで英語を組み立てても、英語で育った人の英語にはならない。

この点は、英語のスキーマの問題であることを今井むつみ氏の本で確認したばかりである。

注)2021-01-05『英語独習法』(2020)
https://handbook-of-four-cities.com/entry/2021/01/05/060000-2394

欧米人の考え方を知るには書いたものを読むのが手っ取り早い、聴くのはやや高度だ。読む速度が一番速い。

松本亨氏はそのために、Read, Read, and Read 多読・速読・直読をいう。速読の方法にまで言及している。

松本道弘氏も多読を重視した。inputなしにoutputなしという考え方であった。両者は基本的に同じであるが、松本道弘氏は腹芸など日本人のロジックを明らかにしようとしたが、松本亨氏は、英語らしい英語を重視した。

当時は、易しい英語の読物が入手しにくかったらしく、本書のpracticeで著者が書いた桃太郎の話や、The Locker Storyという創作恋物語もあり、これなど1時間で読むにはかなり力がいる。

全ての知識を英語で吸収するために、日本語の新聞を英訳して知識として詰め込むpracticeがあるのは、なんだか涙ぐましい。今では、英語新聞も各国のものが読めるし、翻訳されていないものは、その言語で読む時代になった。

桃太郎を読みながら、「英作文」ではなくて「英借文」のpracticeが3日坊主にならないことを考えていた。やらないかぎりはできるようにはならない。当たり前のことを当たり前にすることが生きることであり、幸せなのである。

#語学 #英語

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