『山月記・李陵 他九篇』(1994)

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中島敦「文字禍」『山月記・李陵 他九篇』岩波文庫、1994年、2013年第29刷

中島敦の「文字禍」という掌篇の寓話を読む。寓話であるからには何か背景があるに違いない。氷上英廣氏の解説には、「「名人伝」や「文字禍」などの寓話物も、その背景に哲学的な懐疑やニヒリズムがあって、そこから滲みでてくる笑いとイロニーを含んでいる。」(P403)とある。

以前読んだときは、「哲学的な懐疑」の背景を知らずに読んでいたが、話が巧みで面白かった記憶があった。

高島幸次氏は文化講演会「落語に学ぶ重層的な笑い」(NHKラジオ、平成30年9月23日放送)で、落語を聴いた人は様々な理由で笑っているのであり、「重層的な笑い」を誘うものが、古典落語として残ったという。この話の喩えによれば、私はアッシリアの楔形文字がアニメのように踊っているのを想像して愉快に思ったくらいであった。「哲学的な懐疑」の背景が分からずに「文字の霊」の禍を語る口調にある種のイロニーを感じて読んでいた段階である。高島幸次氏に倣って言えば、読み手の知識のレベルに応じて楽しむことのできる作品は名作ということができると思う。

前田英樹氏の『愛読の方法』(ちくま新書、2018年)のなかで「文字禍」を鑑賞するための「哲学的背景」なるものが語られていた。改めて「文字禍」を読んでみて、愛読書に加える作品であることが分かった。なお、岩波文庫版では老眼には少し辛いので、今度読むときはEPUB版でフォントを大きくして読みたい。

注)本もオンデマンドで買える時代になったので、印刷するなら、フォントを13ポイントで四六版の冊子とかにしてくれれば良いと思う。寝ながら読む身には、ハードカバーなどは重くて厄介だ。

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