清水克行『戦国大名と分国法』岩波新書、2018年
ポスト戦国時代の「統治のあり方」に感動したのに、また、戦国時代へ戻っている。
桜井英治氏と共著の『戦国法の読み方ー伊達稙宗と塵芥集の世界』(高志書院、2014年)は3日間の対談集だった。清水克行氏はその後に調べたことを分かりやすくまとめてくれている。原文を引用する場合は全て平易な現代語に訳してくれているので気にせず読める。
第1章 結城政勝「結城氏新法度」
第2章 伊達稙宗と「塵芥集」
第3章 六角承禎・義治と「六角氏式目」
第4章 今川氏親・義元と「今川かな目録」
第5章 武田晴信と「甲州法度之次第」
終章 戦国大名の憂鬱
第1章 結城政勝「結城氏新法度」
結城政勝の「結城氏新法度」と聞いてもピンとこない。下総国の小さな大名である結城氏はあの「結城秀康」に名を継承されたのだ。徳川家康の次男で豊臣秀吉の養子なった羽柴秀康に結城政勝の養子となった晴朝から家督が譲渡されたのだった。
「結城氏新法度」は平仮名で書かれた。内容をみても、当主が一人で書いたものであり、独り言に近く、法度の体をなしていない。実効性もなかったようで、家臣統制に効果を発揮した形跡はないという。
第2章 伊達稙宗と「塵芥集」
伊達稙宗(たねむね)という字がすっと読めるくらいだから、何度かこの伊達稙宗に関して目にしたのであろう。
『塵芥集』が大きく「検断沙汰」と「庶務沙汰」に区分され、「庶務沙汰」が他国の分国法と比べて「杜撰」と清水克行氏は書いている。土地問題は当時の東北では近畿と比較して深刻ではないとの見解だ。むしろ、労働力としての下人(奴隷)に関する記述があり、未開拓の土地を開墾する労働者に関するトラブルがあった。
分国法に性格について著者は次のように述べている。
「通常、中世の法は現代の法とは異なり、大々的な公布を前提とはしていない。むしろ、支配に携わる者たちたちのための「行政マニュアル」とでも言うべきものだった」(P70)。そういうわけで、「塵芥集」は伊達稙宗が家臣たちに次々に配布したという意味で、大名が公布の意志を示した珍しい分国法だという。
「塵芥集」の公布から6年、戦国第一世代ともいうべき伊達稙宗(1488〜1565)は専制政治のあげく「伊達天文の乱」を招き、息子の晴宗によって隠居に追い込まれる。戦国時代と言えども専制政治は長続きしない。皮肉なことに、稙宗が望んでも得られなかった奥州探題の地位を晴宗が獲得する。先制支配は、足元の疲弊を招いたのだった。息子に地位を追われた大名は武田信虎、斎藤道三など専制支配者である。
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