平山優『新説 家康と三方原合戦 生涯唯一の大敗を読み解く』NHK出版新書、2022年
信玄と家康が三方原でぶつかるまでを最新の研究を踏まえてスピーディーに描く。何を書き、何を書かないかを選択する眼が歴史家の資質なのであろう。
信玄は北の二俣城を押さえ浜松城を前に三方原から西北に向かった。家康は浜松城を出て信玄を追尾しながら、軍議をしている。確かに、一戦もせずに三河へ信玄を向かわせたら、境目の国衆たちの輿望を失うなもしれない。武田軍の行軍先が変わり西に向かった先に浜名湖に面した堀江城にあると知ったとき、信玄の意図を察知した家康は、浜名湖水運の重要な拠点を確保し、補給路を遮断されないために、断固として信玄に戦いを挑んだという。
この解釈もあるのかもしれない。遠江から家康を締め出すためには、三河方面からの補給路を断てばよいのである。浜名湖の北の道は既に押さえ、東海道は今切で陸路は切れている。浜名湖の制海権が重要なのである。
信玄の本当のところの意図はわからないが、遠江への三河からの交通を遮断することで家康を遠江に孤立させることと考えると、無用な消耗線をすることなく、遠江から家康を追い出すことができる。
信玄が上洛をすると言っていたのは、信長を釘づけにするためと考えれば、信玄の作戦範囲が見えてくる。無闇に家康と戦闘しようとしなかったのは、戦わずして勝つ方針が見えていたからである。力攻めは自身も深く傷ついてしまう。
新潮選書でも本が出たようなので、楽しみである。
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