小松英雄『徒然草抜書 表現解析の方法』講談社学術文庫、1990年
久々に徒然草に戻ってきた。季節は桜も終わって新緑が眩しい。さて、何故か小松英雄氏は小品に注目している。
第3章 土偏に候ふ
文学的研究の通説に対して語学的研究の指摘が受け入れられなかったことについて、再度文献学的指摘をしたことが導言に書かれている。
具体的には徒然草第136段について山田俊雄「しほといふ文字は何れの偏にか侍るらむ」(『国語と国文学』1966年9月)の指摘を踏まえ、小松英雄氏が第3章で展開した内容はやや冗長な感じがした。
現状はどうか。通説では篤成が「しほ」について正字である「鹽」でなくて俗字である「塩」の偏を答えたことが非難された理由とされてきた。これに対し、小川剛生訳注『徒然草』(2015年)では補注59で「山田俊雄(省略)が漢字の「鹽」「塩」には正俗の区別がなかったことを明らかにした。これを受け、小松英雄(省略)は、篤成が「本草に御覧じあはせ侍れかし」と大言を吐いたからこそ、有房は「塩」は本草書の、どの「編(篇)」にあるのか尋ねたとした。篤成が聞き違えて「土偏」と答えたのであり、それが「さきほどの大言をもう忘れたのか。そんなことはお前に聞かなくとも分かっている」という反応を導き出した。この解釈を採るべきてある」としている。
『徒然草抜書』(1990)
『徒然草抜書』(1990)その2
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