『農耕社会の成立』(2010)

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石川日出志『農耕社会の成立 シリーズ日本古代史①』岩波新書、2010年

中村新一氏の『アースダイバー 神社編』(講談社、2021年)を読んでいて頭が混乱したので、手近にあった本書を読見直してみることにした。中沢新一氏が以下のように書いていたのである。

「いまから一万五千年ほど前、鹿児島の南端に土器を持った新石器人が海を渡ってたどり着いた。彼らの持っていた土器が「縄文土器」である。縄文人が日本列島へ初めて登場した」(P024『アースダイバー神社編』)。

石川日出志氏は「縄文文化」を以下のように説明していた。

「縄文文化をどのように規定し、理解するかはこれまでいくつもの見解が出されてきた。縄文時代・文化という名称は、そもそも縄文式土器が使われた時代・文化という意味であった。しかし、現在は、更新世から完新世にかけて起きた日本列島における環境・生態変動に対して、当地域に住む人類が適応した文化とみるのが一般的である」(P23)。

酸性土壌で人骨の残りにくい日本列島では旧石器時代後期の石器は確認されているが、更新世の化石人骨は本州では破片しか確認されていない。沖縄の港川人が更新世の化石人骨といて有名である。

「更新世の化石人骨で形質的特徴がわかるのは、港川洞穴や山下町洞穴など沖縄本島の資料であるが、これらは石器群をまったく伴わない」(P14)。

石器での比較はできないということだ。

「南方系の人類集団が北上する過程で、沖縄諸島に渡ってきたものとみられる。さらにこうした形質が縄文人とも類似性をもっていることから、彼らのうち日本列島までやってきた人びとがやがて縄文時代の文化の担い手になったと考えられている」(P15)。

しかし、最近、「港川人と縄文人の形質は異質であり、両者は無関係だという見解も出されている(海部陽介・藤田佑樹「旧石器時代の日本列島人ーー港川人骨を再検討する」)」(P15)という。

これでは、「本州で更新世人骨の確かな資料が検出されないかぎり、この問題を解くことは難しい」(P15)。

スッキリしないのが学問の状況である。私が中沢新一氏の文章に違和感を覚えて考古学の本を確認してみたのであるが、疑問符をつけたままとするしかないようだ。

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