『無私の日本人』(2012)

読書時間

磯田道史『無私の日本人』文藝春秋、2012年

司馬遼太郎が書いたものを読んでいると言わないでもよいことを挿入することに気がつく。磯田道史氏は司馬遼太郎をよく読んでいるようなので、司馬遼太郎の言い方を彷彿させるような記述の仕方が出てくる。司馬遼太郎に似て筆がはしるためであろうか。

“この寛政ごろになると、津々浦々の百姓までが家名を重んじ、いつしか、はるか昔の遠い先祖に我が身を重ね、武士の意識を持ちはじめる。なかには京に出て、ほんとうに武士になろうとする者も出てきた。いうなれぼ、徳川社会の地殻変動であり、やがて、この動きは維新につながるのだが、常右衛門の行動はそのはしりといってよい。”

司馬遼太郎が書いたものを読むような気がする。しかし、津々浦々についてどれだけのことを調べればこのようなことが言えるのだろうか。丹波の百姓だった常右衛門が京に出てきてツテをつかい知恩院の寺侍になり大田垣氏を私称したということが、徳川社会の身分制度を動揺させ維新に繋がるとどうして言えるのだろうか。まして常右衛門がその「はしり」ということは、それ以前に武士以外の階級から武士になったものがいないとでもいいたいのだろうか。不思議な文章と言うしかない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました