『閑吟集』(2023)その2

読書時間

真鍋昌弘校注『閑吟集』岩波文庫、2023年

何かに追われるまでもなく、人の一生は些事がつきものである。文学を読まない人はそれで何も困ることはない。私も文学=小説の風潮は好まないので、歌を詠むことを時折思い出したりはする。へぼ将棋と同じ下手な歌詠であることは仕方のないことである。掛けるエネルギーが違うのだから仕方がない。

『閑吟集』も買ってから本箱に入ったままで忘れていたのである。『エチカ』を探して本箱を開ける作業をした時に気がついた本を本箱の上に積んでいたら山ができてしまった。

閑吟集は永正15年(1518年)に編まれたというのであれば、時は戦国の世である。時代が感性にいかなる影響を及ぼすものかはわからないけれども、和歌と違い小歌は詠ずるというよりうたうとしっくりする。五七五七七の世界ではない。戦国時代に流行った連歌も紐解いてみたくなる。

213 小川(こがわ)の橋を 宵には人の あちこち渡る

注を見ると『徒然草』89段が想起されている。

これは「猫また」という怪獣を飼犬と取り違えて連歌の賭物とともに小川(こかわという名の川)に落ちた僧の話である。小川剛生氏の『徒然草』(角川ソフィア文庫、2015年)の補注31を読むと、小川剛生氏は「兼好は賭物を目的とする連歌には批判的であり、かねてこうした遁世僧の生業を冷ややかに眺めていたのは確かであろう」という。滑稽段は仁和寺の法師にしても何か批判的な点があるから書かれたと見ると『徒然草』の読み方も変わってくる。

小川剛生氏は「徒然草は、中世都市・京都の文学とも言えます」(『徒然草をよみなおす』(ちくまプリマー新書、2020年、p.171)と書いている。中世都市・京都のイメージに私は解像度が低いままである。地名にも注意して読まないといけない。徒然草は一条小川に行願寺があった頃の話である。閑吟集の頃もまだ、小川辺りに寺が多くあったのは河内将芳氏の本で読んだ気がするがうろ覚えである。河内将芳氏の本が本箱の中にあることは確かなのであるが、今日はもう探す気にはなれない。また調べて記憶を新たにしておきたい。

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