「蓮華 仏教文化講座たより」妙法院門跡、vol.102 2022をなんとなく捲っていくと、千僧供養という言葉が目につきました。
髙橋康夫「国宝妙法院庫裏ーーその創建を中心に」と第五四六回仏教文化講座令和四年二月二十七日(日)
「妙法院庫裏は桃山時代を代表する建築の一つです。しかしながら、この庫裏は豊臣秀吉が「方広寺大仏殿の千僧供養を行ったときの遺構」と伝えられていますが、その確証は示されていません。また建立年代も明らかではないとされています。妙法院庫裏は、早くから国宝に指定されているのに、大きな謎に包まれているのです」(p.15)。
このあと建築が専門の髙橋康夫氏の簡潔ながらディテールが細かい説明を読んでいくと、足利義満の経王堂や豊臣秀吉の妙法院殿経堂がどういうものかわかります。そして「妙法院経堂には「大仏妙法院殿御台所」が併設されました。史上ただ一つの千僧供養の庫裏といえるでしょう」(p.17)。
「そうすると、妙法院庫裏の謎は、同じ妙法院の敷地にあった「御台所」と桃山建築である現在に庫裏と同じものかどうか、ということになります。簡単そうですが、それを証明するのはなかなか難しいのです」(同上)。
「創建の「御台所」と現在の庫裏を結びつける、ほぼ唯一の鍵が、慶長十一年(一六〇六)に奉納された「豊国祭礼図屏風」(豊国神社蔵、重要文化財)です」(同上)。
この「豊国祭礼図屏風」にある経堂の側の建物の「入母屋造本瓦葺の屋根の上には煙を抜く越屋根」(同上)があり現在の妙法院の庫裏と「建築的な特徴が一致する」(同上)ことから、「国宝妙法院庫裏は秀吉の「東山大仏千僧会」の庫裏の遺構であり、その建築年代は文禄四年(1595)と考えるのが自然であり、妥当でしょう」(pp.17-18)ということでした。
(注)「豊国祭礼図屏風」は30頁の下坂守氏の講演資料にあるのがなんとも編集の妙です。
(注)豊国神社の宝物殿へ「豊国祭礼図屏風」を観に行ったことがありましたが、踊り狂う民衆にばかり注目していましたので、庫裏の所は見逃してました。何度も足を運ぶことになりそうです。
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