梅原猛、西川照子、写真 井上隆雄『壬生狂言の魅力』淡交社、1997年
壬生寺で壬生狂言を見た時、買い求めた本だと思う。
梅原猛が壬生狂言の魅力を書き、西川照子氏が壬生狂言三十曲ーーその発生と発展、壬生狂言の周辺ーーそして劇は常に喜劇から始まるを書いている。口絵の写真は井上隆雄氏だ。『京都発見』(新潮社、1997年〜)のコンビである。上演中の撮影が禁止なので、この写真を見ると演目がカンデンデンの音とともに思い出される。ただ、口絵のカラー写真が芸術的過ぎるのに対し、三十曲の解説の白黒写真だけでは確認できないことも多い。一曲で1時間近くかかるパントマイム劇もあり、シーンは映像でなければ伝えるのが難しい。
梅原猛が「演劇は初めて観た時の感動が大事である。この感動を読者に伝えるため、まだ壬生狂言を観たことのない人々に壬生狂言の魅力を伝えたいと思って書かれたのがこの本である。その後、壬生狂言についての本も少しは読んでみたが、もちろん十分ではない。それに私はいわゆる芸能史の研究者ではない。それ故、この一文は学門的研究論文というよりは、この平成七年から八年にかけて催された壬生狂言をたまたま観た、哲学者と称しながら、日本の歴史や芸術に広く関心を持つ、一人の奇人の「壬生狂言観覧記」に過ぎない」(P23)と書いていた。
確かに芸能史は専門家でないだろう。しかし、壬生狂言は庶民に親しまれた芸能であるだけでなく、信仰の世界でもあり、演目を見れば能もある。梅原猛しか書けない壬生狂言の魅力の伝え方である。
私も、ただの本好きにすぎないし、ましてや専門家でもない。この本を適切に評価することはできないが、壬生狂言を観てきたものとして、読めばまた観に行きたくなる気にさせるのではないかと思う。
西川照子氏が棒振りの解説で「祇園祭に綾小路室町通西入ルから出る綾傘鉾の棒振りは、かつては、四条傘鉾の棒振りとともに壬生村の人々の奉仕であった」(P128)と書いているを読んで、祇園祭の綾傘鉾の巡行を司るのが「壬生六斎会」であることを知った。以前、綾傘鉾地囃子を聴いたとき棒振り囃子が壬生狂言の棒振りと同じだなという感想を持ったが、そのものだったのだ。
『綾傘鉾地囃子(棒振り囃子)』の記憶
京の冬の旅で大念仏堂の1階と2階を見学する機会があったが、2階は手摺が低いため転落に危険があるとして雨戸を閉め切った状態だったので舞台から見た観客席や焙烙割りの雰囲気が味わえなかったのが残念だった。
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