『教養としての歴史問題』(2020)その2

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前川一郎編著、倉橋耕平、呉座勇一、辻田真佐憲『教養としての歴史問題』東洋経済新報社、2020年8月7日

「第四章「自虐史観」批判と対峙するーー網野善彦の提言を振り返る」(呉座勇一)

「新しい歴史教科書を作る会」の西尾幹二氏が書いた『国民の歴史』(産経新聞ニュースサービス、1999年)に対して戦後歴史学が批判する。代表として永原慶二氏をあげる。『「自由主義史観」批判ー自国史認識について考えるー』(岩波ブックレット、2000年)で「独善自賛の日本歴史物語」「政治的アジテーション」にすぎないと痛烈に批判したと呉座勇一氏はいう。

網野善彦氏は「西尾さんの『国民の歴史』についていえば、読んでみまして、なかなか読者に受けるところもあり得ると思いました。ただしあれは決して『歴史』などではなくて西尾さんの『史論』として読めばおもしろい部分はたしかにあります」(『網野善彦対談集「日本」をめぐって』2002年、初出2001年)と「割と好意的」と呉座勇一氏は捉えている。

網野善彦氏の評価は小熊氏との対談の中での発言であることに注意しよう。評論ではないのである。

歴史修正主義者が作った本が教科書に採択される率は当初は1%に満たなかったが、慰安婦問題を載せた教科書や出版社に対する脅迫と嫌がらせにより慰安婦問題を教科書から外すことが行われた(歴史教科書の書き換えは第一章が詳しい。)。歴史学界が批判したにもかかわらず、教科書は書き換えられ、歴史修正主義の本は蔓延している。歴史学界側の“敗北”と言わざるを得ない。

呉座勇一氏は歴史学界はどこで間違えたのか、網野善彦氏の提言から振り返る。

自虐史観という批判に対抗することは容易ではない。アカデミズムの内部での批判では対抗できない。歴史学界の中で閉じた議論をしていたことで、大衆メディアでは現実に排外主義や歴史修正主義本が蔓延してしまった。街の本屋の歴史コーナーは見るに堪えない状態である。

網野善彦氏の独創的な研究である『無縁・苦界・楽 日本中世の自由と平和』(平凡社、1978年)には「日本民族を称揚する民族主義的な発想が見てとれ」るという呉座勇一氏の指摘がある。

「その後、網野さんは『日本論の視座 列島の社会と国家』(小学館、1990年)、『日本社会の歴史』(岩波書店、1997年)、『「日本」とは何か』(講談社、2000年)などで「日本」や「天皇」は虚構にすぎないと繰り返し語っていきます。これは当時流行していた国民国家批判という知的潮流に沿ったもの」と網野善彦氏の研究が転換したことを指摘している。

天皇制反対論者の網野善彦氏の天皇制に関する研究を「戦後歴史学」が天皇制擁護と批判するのは呆れた。

呉座勇一氏によると「観念的・公式的なマルクス主義の呪縛から逃れ、独創的な研究を行ってきた網野さんが、最終的に観念的・公式的な国民国家論に行き着いたのは、何とも皮肉な話」であるという。

注)
第一章「歴史」はどう狙われたのか?
ーー歴史修正主義の広がりを捉える
倉橋耕平

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