山下裕二 小村雪岱ーー「商業美術家」の逆襲『小村雪岱スタイル 江戸の粋から東京モダンへ』浅野研究所、2021年
展覧会「小村雪岱スタイル 江戸の粋から東京モダンへ」を監修した山下裕二氏の文を読んでおくことにする。図録を買っても読まないという批判を若者から受けている。否定するまでもなく、図録は調べる時に使うので読むものではないと思っている。展覧会の意義が書いてあるのは読まなくても、会場で説明書きを見たり作品を感じたりすることで十分に伝わってくる。ただ、記憶はすぐに失われるので、図録があると何かと便利だから買うことが多い。
小村雪岱について清水三年坂美術館の館長の村田理如氏は有数のコレクターであることを知った。私が小村雪岱について知ったのは京都と考えられるが、記憶が曖昧になっているため、今回は図録を買って読むことにした。
小村雪岱(1887〜1940)は川越で生まれ、東京美術学校で下村観山に絵を学んだ。装幀、挿絵、舞台美術で独特スタイルを確立した日本画家と説明されていた。
「小村雪岱スタイル」は展覧会のタイトルにもなっているが、具体的には何をいうのであろう。養老孟司氏の「形態学」の本を読んでから、形態の説明ができなくなってしまった。スタイルを見て感じることはできるが、言葉で説明するのは容易ではない。AIが画像のスタイル変換をしてくれる時代なので、「小村雪岱スタイル」があればどしどし擬似雪岱が生まれるのだろうか。
図録の表紙は「青柳」、裏にかけては「おせん 雨」が青く染められている。
山下裕二氏の文章を読むと、小村雪岱が好きになったきっかけが図録における意匠(おせん 雨)とあった。今回の図録もおせんが使われているのは山下裕二氏の強い思い込みを感じる。手に入れた図録や画集の話を読むと小村雪岱ファンがいたことに気がつく。商業美術家とされた小村雪岱の評価が遅くなったは、戦後まで生きていなかったことと考えているようた。「小村雪岱スタイル」について山下裕二氏は三井記念美術館の会場の入口に小村雪岱装幀の泉鏡花『日本橋』と並べて若宮隆志氏率いる彦十蒔絵の見立漆器「苫舟日本橋蒔絵」を展示していた。蝶々の意匠が「小村雪岱スタイル」だと分かった。会場でははてな?でしかなかった。図録を見ていて気が付いた。小さな蝶々なのである。
コメント