森有正『内村鑑三』講談社学術文庫、1976年、1977年第2刷
この薄い本を手にしたのはいつだったのだろうか。秋田稔氏の解説と内村鑑三年譜を入れて97頁の文庫である。講談社学術文庫にはこの手の文庫がかつてはあったが、今は分厚い文庫本の代名詞となった感がある。
西欧的諸思想の激しい流入期の思想家である内村鑑三の信仰形成を振り返るのは、やはり難しいものがある。
内村鑑三の書いたものを読んでも、札幌農学校で強制されてキリスト教徒となったとしか分からない。何故という問いは意味をなさない。
「明治十年代において、日本は、かかる規模においてヨーロッパ的思考を受けとった人物を、その新しいキリスト教徒の中に、少なくとも二人もった。内村鑑三と植村正久とである。この二人において、ヨーロッパ的思考のもっとも広義における真に主体的な担い手を見いだした」(P16)。
植村正久(うえむら まさひさ)は『真理一斑(いつぱん)』や『神学通論』を読んだことがないので知らないが、森有正に論じてもらいたかった。
内村鑑三の実存について、「近代のニヒリズムの克服の試みとしての絶望的な実存とは本質的に異なり、ヘブライズムの中核を純真に体現した積極的実在として、人間の基本的な姿として、ギリシアのイデアリスムから現代の実存主義にいたるまで、西欧文明の根底を流れるヒューマニズムに、鋭く、深く、その全体的少なくともにおいて対立する、これもヘブライの昔から現代まで、西欧文明の根底を流れる宗教的実存の本質を示すものである」(P68)。
森有正は内村鑑三の実存はヘブライズムであると書いている。こういう基本的な術語は私の中では曖昧な言葉として処理しておくしかない。中村雄二郎の『術語集Ⅱ』(岩波新書、1997年)でもヘブライズムは立項していないし、索引にあるユダヤ教やユダヤ思想も断片的に触れているだけだ。人名索引にも内村鑑三は出てこない。
西欧文明とは何かという話として読みとるには余りにも短い本であるが、西欧文明の本質的なことを内村鑑三が受け止めて生きたことは伝わってくる。
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