2020年09月購入古書
長月になった。台風のシーズンだった。
台風は西へ向かい大きな被害を出した。東へ向った台風は、そのまま東に逸れた。
(購入後記)
山折哲雄氏の本を時々読む。少し涼しくなったの読んでみようという気になった。書肆スーベニアの書棚の目の高さにあったから、すぐに分かった。単行本で590頁あるので、さてさてと思う。
季刊『創造の世界』(小学館)第77号(1991年2月)から掲載し、第111号(1999年8月)で終了したという。途中で中断があったというが、8年間かかったことになる。
第Ⅰ部 性愛と狂躁のインド
第Ⅱ部 ガンディーの聖性と魔性
第Ⅲ部 密教的エロスの展開
第Ⅳ部 変性のエロティシズム
第Ⅴ部 『とはずがたり』のエロス
インドから始まって宮沢賢治まで行く予定が、『とはずがたり」で終わってしまったという。『創造の世界』が終刊してしまった事情もある。そういえば、山折哲雄氏の宮沢賢治論はまだ読んでいない。『デクノボーになりたい 私の宮沢賢治』(小学館、2005年)をどこかで見かけたら読むかもしれない。以前なら即購入となるのだが、精神力が弱っているので、積読の圧力に耐えられない。
ガンディーについて第Ⅰ部と第Ⅱ部で論じている。「愛欲」でガンディーを論じるのは想像がつかないが、目次はそれらしき言葉に溢れている。
第Ⅲ部は空海、第Ⅳ部は光源氏、第Ⅴ部は『とはずがたり』で、その後は分からないが、故郷を同じくする宮沢賢治で締めるはずだった。
それにしても季刊『創造の世界』は対談が面白くて読んでいたが、山折哲雄氏の連載は記憶がない。いつのまにか忘れてしまったのだろう。
【思想】
山折哲雄『愛欲の精神史』小学館、2001年第2刷
「私は、日本のことを考えるとき、いつもインドのことを考えている。日本のことだけではない。自分自身のことを考えているときでも、どうかするとインドのイメージが私の全身を覆っていることがある」(P17)。
書物やCDでインドに触れたとは言えない。インドの大地の匂いと音に直に触れることが必要だと言う。私は本とCDと映画でしかインドを知らなかったので、山折哲雄氏が何度もインドに足を運んだ理由は想像するしかない。違いがあると言うことなのだろう。その差を埋めることはできないが、擬似的な体験で済ますよりない。読書とはしょせんそう言うものだ。
私が古都に行くのも、目に入る景色や音を愉しむためだと自覚する。暗い路地を歩くのも、その感覚を通してみえてくる世界を味わいたいからだ。
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