角山榮・川北稔編『路地裏の大英帝国 イギリス都市生活史』平凡社ライブラリー、2001年
解説の英文学者の富山太佳夫氏は「1982年に初めてこの本を手にして、その日のうちに読み了えた」(P342)そうだし、「あのときの新鮮な驚きとある種の苛立ちは今でもはっきりと記憶している。ヴィクトリア時代の英文学の研究に手をつけいてた私には、この本は避けて通ることのできないものであった。そして自分でこの本を読んだあとでは、この本を参照しない英文学者に苛立ち、その一方で、この本を歴史学のスタンダードな記述として金科玉条視する英文学者にも苛立った」(P342-343)と書いている。
何にそう苛立っているのだろうか?
著者の川北稔氏があとがきで「イギリス人は日常生活のレベルで、何を食べ、何を身につけ、何を考えてきたのか。イギリス史研究の成果は汗牛充棟ただならぬものがあるのに、このような問題はほとんど答えが用意されていない。」と書いてある。政治経済史中心の歴史が扱ってこなかったものだ。社会生活史への視座の転換が始まった。
『ガス燈に浮かぶシャーロック・ホームズ』(小林司・東山あかね、立風書房、1978年)などのシャーロキアン物が流行ったのもその頃のことだったか。ロンドンという都市の秘密はホームズの謎解きにも増して面白かった。
富山太佳夫氏の苛立ちも分かる。『路地裏の大英帝国』では、ヴィクトリア時代の社会生活が描かれても「大英帝国」そのものが欠落している。民衆の生活のディテールを描いても「大英帝国」は見えてこない。
歴史叙述にはそれを利用する者にとって多様であることが必要なのは言うまでもない。ヴィクトリア時代の英文学を扱う人には当時の庶民生活のディテールや宗教の状況も必要に違いない。われわれ読者は知りたいピースをあつめて楽しむ。ホームズの頃の地下鉄はどこを走っていたのか。運行状況はどうだったのか。知りたりことは山ほどある。
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