『蕪村七部集』(1928)はちょっと手強い

読書時間

伊藤松宇校訂『蕪村七部集』岩波文庫、1928年、2004年第10刷

『蕪村七部集』とは

例言によると、「蕪村七部集は文化五年秋書肆懷玉堂等の編纂せるものにして例の七部集形本二巻に分たる、上巻には其雪影、明烏、一夜四歌仙、花鳥篇、桃李、下巻には續明烏、續一夜四歌仙、五車反古の各篇を収む、七部集と伝へるも實は八部集なり」(P3)とある。歌仙の仙が口篇に金の活字なのは置くとして、表紙には續一夜四歌仙が入っていない。七部集である。

文化五年戊辰秋は1808年秋である。文化五年でググると夏目漱石の『夢十夜』の第三夜が出てくるが、蕪村には関係がない。文化五年には与謝蕪村(1716-1781)はすでに亡くなっており、京都の一乗寺の金福寺の裏山の墓地に眠っている。金福寺は紅葉の時期に芭蕉庵に降り積もった紅葉を眺めるのが好きだったが、時期を見定めるのは難しい。墓所からの眺めも素敵である。

本書は文化五年の『蕪村七部集』の翻刻である。

「其雪影」を読む

例言のあと月渓の序が板本のままなので古文書を読み慣れてないと難しいと思う。頁を捲ったが翻刻はしていない。月渓も読めなかったが、早稲田大学古典籍データベースで『蕪村七部集/几菫』の内容を確認したら名前が出ていた。

夜半亭無村の其雪影序は翻刻されていたので、データベースと読み較べた。崩字は毎日読んでないとペースが上がらないし、上達しない。

「其雪影は、几圭の十三回忌に孝子几菫が、父の遺作及び諸家の寄稿を乞うて編めるもの、連句及び一派の俳句を収め、蕪村の序嘯山の跋及び蕪村の筆に成れる芭蕉、其角、嵐雪、巴人、几圭等五子の像」(P3)がある。夜半亭蕪村の画は味がある。俳句はさらりと几菫が書とあり、読み難いところがある。知っているから読めるではダメだ。精進しよう。

蕪村の加わらない歌仙から始まり、蕪村の名がほとんどないなか、俳諧を目で追っていくと、春夏の部の最初に有名な句が出てきて驚く。

春のうみ終日のたりのたりかな

あまり滑稽さを感じない俳諧ばかりで飽きてきたら、「書窓懶眠」の題があった。

學問は尻からぬけるほたるかな

脱力系の俳諧に出会う。何か『蛍雪時代』を思い出してしまった。

踊りの発表会を見ていて、平凡な踊りが続いた中で、キレのある踊りでレベルの違いを感じたことがある。そんな感じの門人集「其雪影」だった。

与謝蕪村へのアプローチ

そもそも八部あるのになんで七部集なのか。蕪村の評伝を読んだことがないのだった。一般読書人は蕪村にどうやって入っていくのだろうか。俳句と俳画であろうか。安東次男『与謝蕪村』(講談社学術文庫、1991年)から入ったのはやばい。元々、連歌を扱った一般書はすくないので、安東次男に突き当たるのは自然だけれども、濃過ぎるのである。谷沢永一先生の言うように、読者は「自身の感覚(センス)で適当に希釈」(注)するしかない。

そもそも何で手にしたのか記憶にない(要するに買ったことを忘れている)。腰巻のリクエスト復刊で入手が難しくなると判断したからなのか。『十訓抄』や『東関紀行・海道記』も復刊されたのに手にしていない。本書は索引もないのでレファレンスとしては使えない。まあ、212頁と薄いので持っていて損はないが、連句集はときどき見ることにしよう。

注)谷沢永一、渡部昇一『人間は一生学ぶことができる 佐藤一斎「言志四録」にみる生き方の知恵』(PHP研究所、2007年)P260

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