『方丈記』を聴く

断片記憶

古典講読の「『方丈記』と鴨長明の人生」を聞き逃しで聴く。第13回「方丈の菴」其の三は日野での方丈の菴での暮らしぶりだったが、響くものがあった。山守の子供との交遊を描く前半と夜の歌のような後半を浅見和彦氏が丁寧に解説してくれた。加賀美幸子氏の朗読で聴くのは味わい深い。

昔から読んでいたはずだが、この場面は覚えていなかった。これを味わうには歳を重ねる必要があるのだろう。「かれは十歳、われは六十(むそじ)」の二人が遊行するのは面白い。「或は茅花(つばな)を抜き、岩梨をとり、零余子(ぬかご)をもり、芹をつむ。」と簡潔にして具体的であるが、単調な言い回しではない。

解説では「岩梨」を今のコケモモのことだと言われているとしていたが、コケモモは高山帯の植物なので、日野辺りの300m程度の低山には分布しない。岩梨はその名の通りツツジ科イワナシ族の小低木が広く分布しており、滋賀県の山里である朽木でも確認されている。また、三上山の近くに東光寺岩梨山という地名が残っていることからも、岩梨はイワナシとしたい。

簗瀬一雄訳注『方丈記』(角川ソフィア文庫、kindle版)では、「地梨。赤い実が食べられる。」と注がされていた。植物の名は難しい。昔と今では指すものが異なることがある。まさに、形態的には地に這うようなイワナシは地梨のイメージである。古注に拠ったのであろうが、地梨はクサボケの実を指すのが普通なので、ふさわしくない。イワナシの果実の中身は梨のように白い。果皮が緑から赤褐色になるが赤い実ではコケモモを想像してしまうのも無理はない。

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