辻邦生『海辺の墓地から 辻邦生第一エッセー集 1961〜1970』新潮社、1974年
「海辺の墓地から」というエッセーは何度も読んだ気がする。こうやって、朝、本を読む幸せに浸っていると、この本を読んでいた頃が蘇る。トーストにスクランブルエッグなど、欧州旅行から帰ってきてから、朝はパン食になっていた。
1960年の夏の終わりにスペインからの南仏に入ったときの話から始まる。
「セートにはヴァレリがうたった「海辺の墓地」があり、詩人自身もその墓地に埋葬されていたのだったが、私は旅のはじめからヴァレリの墓を見ようと思っていたわけではなかった。もともと私は作品に描かれた土地や、作家にゆかりのある家などを訪ねることに、あまり積極的な意味を感じていなかった。文学作品には、そうした偶然的な要素をこえた作品自体の自律性が働いており、かかる自律的要素こそが作品の本質をつくりあげると考えていたからである」(P11)。
スペインで所持金をほとんど使い果たしていた辻邦生は、ユースホテルに泊まって、翌朝、射し込む朝日に導かれ、岬の突端にある墓地に向かい、青い海を背景にして薔薇色に染まる墓地にヴァレリの墓を見つけた。墓石には「海辺の墓地」の第1聯の最後の2行が刻まれてた。
Ô récompense après une pensée
Qu’un long regard sur le calme des dieux !
「ああ 思念のはての慰めよ 神々の静けさへのひたすらな凝視よ」
ヴァレリの「海辺の墓地」の最後の聯に堀辰雄が、『風立ちぬ』で使ったフレーズがある。
Le vent se lève ! … Il faut tenter de vivre !
L’air immense ouvre et referme mon livre,
La vague en poudre ose jaillir des rocs !
Envolez-vous, pages tout éblouies !
Rompez, vagues ! Rompez d’eaux réjouies
Ce toit tranquille où picoraient des focs !
堀辰雄は「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳している。
辻邦生は、「風が立つ……いまこそ生きようとしなければならぬ
はるばると吹く風は私の書物を開き、また閉ざす
くだける波は岩からはねかかる、ああ、飛び去れよ、まばゆい書物の頁よ」と結ぶ。最後の2行は訳していない。
セートを離れる前に、強い日差しの中もう一度ヴァレリの墓を見に行く。青い地中海の波と青い空の下、白く光る大理石の墓石があるだけだった。パリに戻った辻邦生は、「海辺の墓地」を回想し、リルケやハイデッガーやプルーストなどそれまで読みつづけた書物のなかに、「海辺の墓地」を加えたのだった。
#辻邦生 #ヴァレリ #堀辰雄
コメント