コンビニのおせち2

断片記憶

これからはコンビニのおせちを肴に酒を飲むのが正月の風景になるのか。以前はデパートか料理屋のおせちを食べるか、知り合いのところへお呼ばれしていただいていた。今年もお呼びがかかってお年賀を用意していたが、知り合いが東京へ出てくるというので断った。それで昨日からコンビニおせちをいただいている。知らなかった。料理屋もおせち作りは負担になるので、やめてるところもある。そんなところへコンビニおせちは参入したのだ。

昨日は適当に買ってきて食べたら、それなりだったので、今日は少し量を減らした。何しろ夜は外食が決まっている。料理人もスケッチするか頭の中で絵を描くと思うが、パックの量は素材の値段で決まるので、皿に並べると量が適当ではなくなる。そこで、封を切って量が多いものはその場で口の中へ。つまみ食いがうまいのはそういうことである。皿に盛り付けする前に考えればよかったのであるが、書と同じに一度置いたら、汁がでるので直せない。奥を高くする基本と彩りの組合せはいくつかあった。いつも食べてた里芋がないな。京人参の色もないな。おせちという文化と自分の好みを改めて考えさせられた。

岡晋吾さんの皿があれば寂しくない。
雨月陶齋先生の山桜の盃で初春を寿ぐとしよう。

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