紀貫之の墓をやり過ごす

シガモノ

目崎徳衛『人物叢書 紀貫之』吉川弘文館、1961年、1985年新装版

紀貫之の最初の伝記であるという。歴史家であるため歌人とは違った観点の本となる。当時は子規の毒が回っていたので、古今集そして紀貫之の評判は頗る悪かった。目崎徳衛は紀貫之をどう評価していたのかというと、鴨長明の『無名抄』の「貫之・躬恒の勝劣」での源俊頼の言葉とは反対に「貫之をば、なあなづらせ給ひそ」という程度のことを、この伝の見透しとして言っておいてもよかろうと思う」と書いていた。「大岡信の『紀貫之』(1971)をみて第4版の追記では「まさに貫之復権の宣言であろう」(P10)といっている。

紀貫之の生まれから生涯をながめるということをしてこなかった。記録も少ないし、没年も定かでない。我々は紀貫之をほとんど知らないでいる。紀貫之の墓が比叡山にあることを比叡山鉄道坂本ケーブルに乗った時知った。途中のもたてやま駅から10分程度のところにある。途中で降りるのもなんなので見送ったが、今なら見にいくだろう。その時は紀貫之のことを「ああ、古今集の選者だったな。」程度でやり過ごしてしまった。勿体無いことをしたものである。

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