『花と木の文化史』(1986)

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中尾佐助『花と木の文化史』岩波新書、1986年

「花はなぜ美しいか」という命題を取り上げて、本能的美意識と文化的美意識を論じている。

「植物界を広くみて、また人間の文化を通し、人間の歴史を通して植物をみて、花や植物の世界と人間との関係は複雑多様であることが、この頃になって私にもよく理解できるようになってきた」。

生物学の重鎮の発言だけに興味深い。

「花の美しさというものは、生物進化史からみると、かなり簡単なプロセスで生まれたものということになる」。

要約すると、

藻類、菌類、シダ類などの隠花植物は花がないため、胞子で繁殖する。花があるのは顕花植物で、マツ、スギなどの裸子植物は風媒花で大したことない。被子植物は原則として虫媒花なので、花は昆虫をひきよせる装置として進化した。イネ科の植物は風媒花であるが、単子葉植物として進化的に遅れているとは考えられていない。

そして、「花らしい花の咲く双子葉植物の花は、開花すると花の大きさ、色彩、集合の美術なので、もっぱら視覚によって昆虫を誘引しているようだが、じつはたいてい別な誘引装置も用意している。それは花の香りと蜜である」。

次に、「花と庭木を人間が鑑賞するときは、枝ぶり、葉の特色なども重要だが、花についで多いのは果実を賞美することである」。

鑑賞の中心は赤い果実である。しかし、小鳥は赤だけでなく紫黒色の果実を食べて種子を散布している。

さて、本題の本能的美意識と文化の違い美意識についてである。

「美しい花に昆虫が集まり、赤や紫黒色の果実に小鳥が集まって食べるとき、これらの動物が遠くからその存在を認識するのは、最初はたぶん視覚や嗅覚によるものであろう。そしてそこに集まっていくのは本能的な反射行為であるのか、あるいは色、形、香りという信号をうけてから、なんらかの価値判断をして、その結果そこに集まるのか、たいへんむつかしい問題である」と断定をひとまず避ける。

動物の繁殖期の二次性徴から動物の本能的美意識というものが共通的にうかびあがるとして4点を挙げている。

(1)体から大きくなり強力である。

(2)特色のある形の付加的装飾物が発達する

(3)原色華麗で艶のある色彩をもつ

(4)強い体臭をもつ

「これは異性のもつ美意識に訴えるものと想定できる。また求愛行動やダンス、ディスプレイなどの動作もやはり異性の美意識に作用する。このような美意識はいわば本能的だと見なして、ここに動物における本能的美意識ということを設定できることになる」。

人間も花の原色華麗で艶のある色彩に本能的に美しさを感じるということができる。

文化的美意識は、例えば、ヒガンバナは可憐な花が咲くが、今まで日本人はそれをむしろ嫌い、庭に植えたりしていない。死者との関連づけがされていたからだ。また、ヒマラヤのシャクナゲの花に現地の人は関心がない。葉に毒があるため、牧草の邪魔になる。さらに、古典園芸植物に高い値段がついても一般の人々にはよさが分からない。これらは、文化的美意識の問題である。やっと導入部が終わった。

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