『兼好法師』(2017)その2

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小川剛生『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』中公新書、2017年

六波羅にあった南北の六波羅探題の跡は見た記憶がない。六波羅蜜寺に平氏六波羅第・六波羅探題府の石碑がある。建仁寺の勅使門は平教盛館門とも、平重盛館門とも言われている。東福寺の六波羅門は平氏の六波羅第の門とも六波羅探題の南方の門を移したものとも言われている。兼好法師がこの地に出入りしていたのは徒然草から見えてくる。

兼好法師が京都で住んでいた場所として双ヶ岡が有名だが、兼好法師旧跡の石碑が長泉寺の山門の手前にあるのを見たことがあるが境内は非公開なので墓は見たことがない。双ヶ岡も北から歩いたことがあるが何もないと言ってよい。仁和寺の僧侶に対する冷やかな観察をみると、兼好法師は仁和寺との交わりはなかったのだろう。

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