『大元帥 昭和天皇』(2020)その2

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山田朗『大元帥 昭和天皇』ちくま学芸文庫、2020年

山田朗氏は「まえがき」で本書の執筆意図を書いてます。

「戦前日本において天皇は、楽・海軍を指揮・統率する最高統帥者=大元帥であった。本書は、大元帥としての昭和天皇の軍務と戦争関与の実態を可能な限り具体的に明らかにしょうとしたものである」(P11)。

それは「具体的な史実の提示によって答え、天皇の戦争責任を考えるための確かな素材を提供しょうとするものである」(P12)。

天皇の戦争責任を追及する理由を「過去にこだわらなければ、未来を切りひらけない問題もある。放置しておいても元に戻らないこともある。戦争や植民地支配とは、日本人にとってまさにそういった問題なのである」(P12)。

「国家の意志として戦争と植民地支配がおこなわれ、また、強権的な治安体制がしかれた。その結果として、近隣諸国民と自国民にはかりしれない惨害を与え、民族間にも根深いしこりを植えつけ、生き残った多くの人々の人生をも狂わせてしまった以上、後始末のひとつとして戦争責任が問われるのは、当然のことであろう」(P14)。

「今日における戦争責任の追及とは、どのような歴史状況のなかで、どのような国家の判断・行動が、どのよえな結果をもたらしたのかを実証的に検証し、その因果関係や責任の所在を明らかにし、国民の共通認識として定着させることである」(P14)。

天皇の戦争責任を「あとがき」で明確にしています。

「①国務と統帥(軍事)を統轄できるただ一人の責任者としての責任

②唯一の大本営命令(最高軍事命令)の発令者としての責任

③統帥権の実際の行使者としての責任(統帥部を激励えるいは叱責して積極作戦を要求したり、「御下問」「御言葉」を通して作戦を督促して、現実の作戦指導・戦争指導をおこなったことにともなう責任)

などから構成される」(P402-403)。

「天皇の戦争責任はまさに国家の戦争責任の中核をなすものである。つまり、天皇の戦争責任をあいまいにすることは、国家の戦争責任をうやむやにすることである。そして、それは、歴史を歪曲することであり、教育・マスコミ報道を通じて、日本人の歴史認識,国際認識をゆがめ、ひいては国際的な批判・反発をまねき、結局は日本人に跳ね返ってくるのである」(P403)。

厳しい言葉で締めくくられています。

「本書は、上奏文や「御下問」「御言葉」の分析から、戦争指導における天皇の役割を明らかにしようという方法を前著から受け継ぎながらも、昭和天皇の半生記ともなるように通史的な叙述にも心がけた」(P412)とあるように、上記の③の責任に紙幅を割いています。

「「戦争責任論」そのものではなく、そこに至るプロセス、大元帥としての天皇の戦争関与の実態についての叙述である。画策・戦略・作戦の決定に際して、昭和天皇が具体的にどのような役割を果たしたのか、その発言の表面的な理解でなく、可能な限り、個々の問題に天皇がどのような質問をし、関係者とのやりとりのなかでどのように考え、その上で膨張・戦争という判断を下していったのか(あるいはそれとは異なる判断をしたのか)、それを一次史料から読み解こうとしたのである」(P407)。

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