あうん堂本舗を辞して、石川県立音楽堂へ向かうことにした。中の橋を渡りながら主計町茶屋街を眺める。春の桜の時期や、夜の風情を思うと散歩してみたかったが、文楽を観ることにしたのだった。浅野川が右に緩やかにカーブして流れているので浅野川に沿って歩くとバス通りから離れてしまう。かといって南側に道がない。少し焦ったが、川沿いに進み、南への道を探し歩いてバス通りに出ることができた。しかし、駅へ向かう空車が来ない。乗務員さんも昼食休憩かなと思ってみたりした。やっとつかまえることができて、音楽堂の邦楽ホールのある裏手に回ってもらう。二階が一階席になっていた。後で温習會も同じ綱渡りになった。
演目は『桂川連理の柵(しがらみ)』より「六角堂の段」「帯屋の段」「道行朧の桂川」だった。文楽はやはり品の良くない笑いと涙になった。大阪の町人の世界を京の都を借りて表現してみせたような気がした。死なねばならない二人が虎石町から身を投げに桂川まで来るのは道行の場面を作るためなのだろう。下駄を脱いだ娘(お半)を後から長右衛門が追いかけて、お半を負ぶって桂川に現れた。『曽根崎心中』が夜の部にあったが、その改作の改作であるとパンフレットに書いてあった。桂川で男性と隣家の少女の遺体が発見されたことを取り入れたものだ。
ホテルに向かうことにした。昨日は駅前のホテルに留まったので、温泉旅館もよかったが、竪町に4月にオープンしたKANAME INNという小さなホテルにした。堅町は19時まで車が入れない通りだ。香林坊と片町の間で降りて、堅町を歩く。学校帰りの子達が通りを広がって歩いてくる。人間中心の設計という街のあり方だ。ホテルにチェックインして、残りの時間で犀川を渡り室生犀星記念館へ向かうことにした。片町で芭蕉の辻の石碑を見て、犀川大橋を渡ると側に雨宝院という寺がある。室生犀星が幼少から青年期を過ごした寺だ。『性に目覚める頃』の舞台である。雨宝院は金澤三十三観音霊場の第十七番札所だ。西国三十三観音霊場の写しである。同じ番号の西国三十三観音霊場の石碑が立っていた。第十七番札所は六波羅蜜寺である。少し歩いたところにある室生犀星記念館ではいしかわ観光旅ぱすぽーとが役に立った。文豪が詩を朗読したものを聴いた。何か朴訥な感じの朗読で生真面目な感じであった。
雨宝院の前に何故か山城国の石碑がある
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