『頼山陽とその時代 上』その4

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中村真一郎『頼山陽とその時代 上』ちくま学芸文庫、2017年

第1部第5章 女弟子たち

「京都生活における精神の自由のあらわれのひとつとして、放蕩の他に「女弟子」というものがある」(上P106)。

中村真一郎の思わせぶりの記述である。

さて、全てのことには典拠があるかも知れないという見方は有力な観察指針であって、自由奔放な想像力を否定するというよりは、多角的な物の見方を提供するものである。女弟子たちについて、中村真一郎は清の袁枚(えんばい)の影響を書くことで始めている。

そもそも、中村真一郎が「「女弟子」の存在を、山陽の「精神の自由」の現われのひとつと見ようと」(上P110)としたのは、「自由というものが、先ず当時の封建的道徳秩序からのそれであるとすれば、男女関係において、最も鮮やかにその自由さが露出するだろうと思うからである。のみならず、「遊蕩」というものが、専ら当人だけの感覚の解放に属するとすれば、女性を「他者」として認識するということは、さらに大きな自由であるだろう」(P110)とした。

中村真一郎は山陽に「女性との交際において、単にそこに肉の対象だけを見出していなかったことに、彼の自由な女性観をみようとするものである」(上P111)。

山陽の女弟子を中村真一郎は4人挙げる。

第一 平田玉蘊(ひらたぎょくうん)

第二 江馬細香(えまさいこう)

第三 原 采蘋(はらさいひん)

第四 片山九畹(かたやまきゅうえん)

具体的な交際をここに書くことはしないが、才女を好んだ山陽ということができる。

第1部はここで終了する。第2部は山陽の一族が取り上げられる。

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