『応仁の乱』(2016)その後

読書時間

呉座勇一『応仁の乱』中公新書、2016年

すでに3回に分けて書いたけれども、思想史講座で内藤湖南の「應仁の亂に就て」に関して呉座勇一氏が『応仁の乱』の「はじめに」に書いていたことを読み飛ばしたことを知る。

内藤湖南は応仁の乱の重要性を強調したあとで、現代の日本を知るには古代の日本のことは不要と言い切っている。

「大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、應仁の亂以後の歴史を知って居ったらそれで沢山です」。

早速1921年(大正10年)の史學地理學同攻會講演をkindleで読む。触りのところは知っていたが、読み通したことはなかった。

青猫出版の青空文庫を基にした内藤湖南作品集:全36品が便利そうなのでサンプルを見た。ちょうど「應仁の亂に就て」が入っていたのでそれでよかった。一作一作がバラバラな青空文庫版ではなくて、まとまったのは使いやすい。しかし、サンプル版は読めるのに製品版はiOSに対応していないではないか。どうなっておるのか。

「應仁の亂に就て」はシナ学の内藤湖南が日本史学に対して「他流試合」として、時代区分の概念を問うているものと読める。「應仁の亂に就て」は日本の歴史の切れ目を応仁の乱に置いている。応仁の乱以降に近世が始まるという。明治維新を近代の始まりと捉える史観を相対化するものである。しかし、応仁の乱の前後で何が変わったのかを内藤湖南はあまりはっきり言わない。明治の大名華族で応仁の乱の前からの家は薩摩の島津氏や伊東氏くらいだと言っている。それほどに公家、寺社、武家は入れ替わってしまったが、それだけなのか。

呉座氏は応仁の乱に過剰な意味付を排する方向に研究は進んでいるという。室町幕府の権威は失墜したわけではなく、幕府の発給文書は依然として続けられている。ガラッと変わったわけではない。しかし、京都を焼け野原にした応仁の乱は長く続いたので日本の社会に大きな影響を与えなかったわけではない。中世の権門体制は確実に崩壊していった。これらは目に見えない変化のため史料しか読まない歴史家には扱えないのであろう。

内藤湖南は具体的な変化の例示を出さなかったけれども、呉座氏の言うように守護在京制の解体は文化の地方伝播に繋がり、京都の没落は地方の小京都の発生とパラレルである。『応仁の乱』がなかなかに難しいのはその発生と収束のプロセスだけでなく影響といえども簡単に示せないことによる。

2016年10月25日発行の本書が、その後版を重ねていることは何とも素晴らしいことである。果たして、どのくらいの人が読み通せただろうか気になるところではある。

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