金谷武洋の日本語論

読書時間

『LIBRARY iichiko No.113 WINTER 2012 金谷武洋の日本語論』文化科学高等研究院

特集 金谷武洋の日本語論を読むために『季刊 iichiko』をAmazonで取り寄せてみた。

山本哲士氏のインタビュー「金谷日本語論のエッセンス」で全体像が垣間見えるが、「三上文法」を知らない人はちょっとフラストを覚えるかもしれない。我慢して他の記事を読んでいくと分かってくる。

「主語が不可欠な言語は、パルムターの報告によれば、地球上に8つしかなく、それが今、7つになろうとしているのである(David Perlmutter, Deep and Surface Structure in Syntaxe, 1971)。」(金谷武洋「日本語の述語制:日仏語対照研究」P30)。むしろ主語が必須な言語が例外という認識は、視界を変える。

私が習ったフランス語やドイツ語は主語と代名詞の格変化のうるさい言語だった。スペイン語をかじった時、主語がないのでめんどくさいと舐めてしまったのは失敗だった。発音が日本式で良かったので、続けていれば、日本語との対比で日本語をもっと知るために役立ったかもしれない。

主語を必要とする言語は、スェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語、オランダ語、ドイツ語、英語である。ラテン語から派生したロマンス諸語のなかからフランス語とロマンシュ語が主語を必要とする言語となった。フランス語は例外だったのだ。スイスで話されているロマンシュ語は母語として話す人の減少により消滅しょうとしているという。

日本語は情況依存の強い言語というが、むしろ「場」を前提とした効率的な言語と考えると面白くなる。

「泣いている。」という日本語は文脈で誰が主体なのか分かる。これをフランス語に訳すと、人称で9つの可能性がある。ただし、この説明は少しおかしい。文脈が明らかであれば、フランス語でも一つの言い方に定る。

Je pleure.

Tu pleures.

Elle pleure.

Il pleure.

On pleure.

Nous pleurons.

Vous pleurez.

Ils pleurent.

Elle pleurent.

やっぱり、何と言っても、川端康成の『雪国』の第一文の翻訳から分かる英語表現の視点と日本語表現の視点の違いが面白い。

「世界観に応じた視点が言語には内在している。英語表現は超越的視点を自然とし、日本語は状況内視点を自然とする。」(中島秀之「日本の視点ーー人工知能研究者の立場から」P66)

川端康成の『雪国』

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

サイデンステッカー博士の訳

The train came out of the long tunnel into the snow country.

「日本語を読んでいる読者はどこに居るだろう?主人公と一緒に列車の中に居るのが自然だ。一報(ママ)英語の方の読者はトンネルの外から(おそらく上空から)汽車が出てくるのをみつめていることになる。」(同上)

課題図書を読み終えたい。雑誌の続きも読んでいたい。久し振りに味わう葛藤である。

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