NPO御園夢村興し隊企画発行『舞に託す 〜御園の花祭〜』(2012年)のDVDを見る。
1.御園の花祭とは神楽である。
御園の花祭とは愛知県北設楽郡東栄町御園地区で毎年11月第2土曜日から日曜日にかけて夜通しで行われる「花」と呼ばれる氏神祭である。国の重要無形民俗文化財(1976年)に指定されている。
我々は「神楽」に分類している。
三上敏視氏によると「神楽は日本の伝統芸能のひとつとして民俗学の研究対象になっており、「民俗芸能」というジャンルに属している。民俗芸能はさらに「神楽」「田楽」「風流(ふりゅう)」と祝福芸」などに分類されていて、いずれも信仰と深く関わっているもの」(『神楽と出会う本』アステスパブリッシング、2009年)として、「その語源は、「神座(かみくら)」で、それが「かむくら」「かぐら」と変化してきたという説が定着している」とする(同上)。
奥三河の花祭は霜月の湯立神楽に分類されている(同P29)。舞庭(まいど)の中心に釜を据えて行われる。
2.御園とは奥三河である。
奥三河とはどこかについての説明が必要であろう。少し長くなるが前田真三の言葉を借りることにする。「奥三河がどの辺にあってどのようなところであるかを正確に知る人は少ない。私自身も数年前まで奥三河に対する知識が殆どなかったといってよい。行政的には奥三河という呼称はなく、通常、東三河または愛知県東北部と呼ばれている。また、天竜奥三河国定公園という呼名があるが、これには天竜川流域のかなり広い地域が含まれていて、どの部分までが奥三河であるのか、これとても明確に知る人は少ない。ではどの辺を奥三河と呼ぶかというと、主に愛知県北設楽郡の設楽町、東栄町、稲武町、豊根村、津具村、富山村などの六ヵ町村を指す場合が多く、さらに隣接地の足助町、鳳来町、作手村、新城市などの一部も含めて奥三河と呼ぶ場合もあるようである」(『奥三河』グラフィック社、1985年)。
奥三河(1985)
しかし、平成の大合併の結果、稲武町、足助町は豊田市に編入され、津具村は設楽町と合併し設楽町大字津具となり、富山村は豊根村に編入され、鳳来町と作手村は新城市に編入された。時の経過を思わざるを得ない。
奥三河の花祭は東栄町、豊根村、設楽町大字津具に残る。なお、東京にも東京花祭りがあり、御園との交流で生まれた。
3.御園の花祭のタイムテーブル
御園地区の花祭のタイムテーブルはホームページを見てもらうとよい。
4.ビデオについて
文化庁の地域伝統文化総合活性化事業(平成22,23年度)で制作された18分間のビデオであり、字幕が英語のものを用意されている。水谷八重子氏の語りで淡々と紹介されるさわりだけの品のよいビデオである。「テホトヘトホヘ」「テーホヘトホヘ」が耳について離れないという見学者の感想からすれば、やはり現地で観るにこしたことはない。この他YouTubeにも一杯ある。
5.謝辞
このDVDは、三上敏視氏との縁で安藤礼二先生率いる多摩川美術大学の一行に同行した人からいただいた。ここでお礼を述べさせていただく。
6.参照箇所
三上敏視「奥三河の花祭」『神楽と出会う本』P29-36、P84
三上敏視「花祭ーー奥三河の祝祭を守る人たち」『ひととき2006年11月号』P22-27
前田真三『奥三河』あとがき
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