「源氏なのに義経がでてこない」という苦情?に対応して宇治市源氏ミュージアムと宇治市歴史資料館との合同企画展「『源氏』的なるものと宇治 都名所図会の世界」が開催されている。
世の人々の大半が、そう考えていたとして不思議はない状況があるのだろうか。源平合戦を描いた『平家物語』に対して『源氏物語』があるとかいうのはネタのような気もするが、これは、読まれることが稀になったということであろうか。タイトルは知っているつもりで中身は曖昧である状態のままということはよくあることだ。
『源氏物語』は架空の恋愛物語なのであるが、現代語訳で読もうと思えば読める。円地文子の『源氏物語』とか図書館で借りて読んだものだ。漫画もあるので、むしろお手軽かもしれない。
源氏が賜姓であることが分からなくなっているのであろう。氏姓制度も教科書で習って以来復習していないので曖昧な理解にとどまっている。
「(源氏物語)の主人公のモデルの一人に挙げられている源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇を父にもつところのれっきとした皇族であった。しかし、ある時期に源姓を賜って臣下にくだったことにより皇族から離れたのである。この事象を一般に皇親賜姓とよんでいるが、源氏とは、このような過程をへて出現した一氏族の総称である。」(朧谷寿『清和源氏』(教育社、1984年)
個々には嵯峨源氏、宇多源氏、醍醐源氏、村上源氏などがある。
朧谷氏によると「清和源氏もその一流であった。ただ、これらの諸源氏はいずれもその出自が天皇家という尊貴な家柄であったにもかかわらず、ほんの数代のあいだに中・下級貴族から地下人(じげびと)になってしまっている。このことは、皇親賜姓という点で同じ状況下にあった平氏についても」「なにがかれらに高貴な出自の意識を失わせたのか」課題であるという。これを書いたのが1984年なので、もう解決しているかもしれない。今度、お会いする機会があれば聞いてみたい。
源氏物語ミュージアムの企画展は、期間により展示替えがある。源氏盛衰記図絵(江戸時代)が6冊展示されていた。宇治市歴史資料館からは図絵が各種展示されていたなかで、都名所図会の4冊は内裏之図、河原院の旧蹟、清涼寺、平等院が開かれていた。企画展を目指して行く内容ではない。むしろ、映画「橋姫 女人たちのこころの丈」は20分であるが、白石加代子の語りは聴きごたえがあった。
2015年12月2日から2016年2月14日まで。
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