私は以下の本を並行して読むことにした。
福沢諭吉著、松沢弘陽校注『文明論之概略』(岩波文庫、1995年)
現代仮名遣いでルビ付き
丸山真男『「文明論之概略」を読む 上中下』(岩波新書、1986年)
子安宣邦『福沢諭吉『文明論之概略』精読』(岩波現代文庫、2005年)
福沢諭吉『文明論之概略』(1874年)をどう読むのか。『文明論之概略』がどのように読まれてきたのかが重要である。松沢弘陽氏は「福沢諭吉の生涯最高の傑作であり近代日本の古典となった」と解説に書いている。
丸山真男は足掛け4年の購読会を岩波新書3冊『「文明論之概略」を読む』(1986年)にまとめた。
丸山真男は緒言を読まずに第1章から読むことを勧めている。
普通本は前後を読んでから本文というのが一般的な読み方とされる。Kindleで99円のなどを買ったりすると、いきなり緒言から読み始めてしまい、難しさを感じて読むのをやめてしまうかもしれない。
丸山真男は「「緒言」というのは通常そうであるように、この場合も全篇が成ってからあとでつけたものです。そしてここで展開されている一言一句がまさに重たい意味をもっているために、ここからはじめると、方程式を解く場合に答えを先に覚えるようなことにもなって、あまり適切でないから」(62頁)といっている。
子安宣邦氏は『福沢諭吉『文明論之概略』精読』岩波現代文庫、2005年で4年間を費やして読んだという。
子安宣邦氏は丸山真男の岩波新書を強く意識したに違いない。両者が4年間を費やしたという福沢諭吉の『文明論之概略』を読むに当たり、福沢の言説を二人がどう扱うかを読み比べながら読んでいこうと思った。『論語』を仁斎と徂徠の読み方を対比させた子安宣邦氏の「論語塾」の方式を採用することにしたのである。
研究者でもない一般的読書人はこういう読み方を普通はしないだろう。子安宣邦氏の現代文庫判は増刷されたようにはみえない。読むことがあるとすれば別々に読むのが普通なのであるし、世代も噛み合わない。すでに、私は二人が『文明論之概略』を古典の捉え方の点で違った読み方をしていることは書いた。
さて、この続きは来月になるのだろう。こうやって二人は4年間をかけたのに違いないのだから。
『文明論之概略』の読み方(はじまり)
『文明論之概略』の読み方(その2)
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