井上章一『京都ぎらい』朝日新書、2015年第6刷
井上章一氏は嵯峨で育ったという。京都のひとではないと言われたらしい。京都のひとにとって京都は市街をイメージする。
十三参りで法観寺の虚空蔵菩薩さんに知恵を授けられた京都のひとは渡月橋を渡り終えるまで振り返らない。振り返るとせっかく授かった知恵がなくなるという俗説があるくらい嵯峨は京都ではないらしい。桂川を渡らない人も右京区に住む京都市民に違いはない。しかし、京都は洛中なりの中華思想により著者は心を痛めているのであった。
これは現在の宇治市に住んでいてもいわれる。宇治市は京都ではないというわけである。
私はそういう生粋の京都人に知り合いはすくないので、知る由もないが。近い者ほど嫌われるということはある。
嵯峨のほうでは大文字焼きと言っていたというのが面白い。「五山の送り火」をいうのはむしろ盂蘭盆という民俗にしがみつく田舎者の町だと。洛中をくさしている。
京都嫌いには困った者だ(^_^;)。
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