工藤敬一『荘園の人々』ちくま学芸文庫、2022時
書誌情報
1978年に教育社歴史新書として刊行されたものをちくま学芸文庫とした。工藤敬一氏の文庫版あとがきがある。解説「人物を通じて荘園を理解する」を高橋典幸氏(東京大学大学院人文社会系研究科教授)が書いている。
日本の「中世」を理解するのに経済基盤である荘園の理解が欠かせない。しかし、理解というか、解像度を上げようにも概説ばかりでその先が見つからなかった。今回、工藤敬一氏の本が一つのきっかけになって進めたらよい。
概観は後回しにして、第1節 生江臣東人 ー初期荘園と地方豪族 から読む。
大仏を建立した東大寺が越前国の坂井郡、足羽郡、丹生郡に荘園を設定、開発する話から始まる。
「造東大寺司は法師平栄(ほっしへいえい)とともにが造東大寺司の史生大初位上生江臣東人(ししょうだいそいのじょういくえのおみあずまびと)を寺家野占寺使(やせんじし)に起用した」(49ページ)。
越前の豪族の生江臣東人の協力なしに荘園の開発は難しかったのであろう。「足羽郡の野地を寺家荘園のために占定した」(51ページ)とあるので「寺家野占寺使」の意味はおおよそわかった。「寺家」は読みが示されたいないので、前のページに戻ると概説の19ページに「じか」と読みがふってあった。官営であった東大寺のためとわかるが、「占定」とはどのようなことをするのか。概説では選定と書いたあとで占定という語を使っている。ジャパンナレッジでは「墾田永代私財法」の説明のなかで「未開の地の占定許容額」「地を受けてから三年経っても開墾しない場合には、開墾地の占定は無効」「寺がすでに占定している開墾予定地」などの使われたかたをしている。「占定」そのものの解説はないが、土地の開発予定地の選定をして国司が許可する仕組みだとわかる。
辞典がなければわからないが、辞典を読むのも難しい。
第4節 橘兼隆と大田光家 ー開発領主と寄進地系荘園の成立 を読むと「先占(せんせん)」の論理(56ページ)などは、「占領」「占有」などの用語とわかる。「占定」も元の意味は占で決めることなのはわかるが、実際はどのような手続だってのだろうか。解像度を上げようとするとぼやけてくるのである。
本書は一般向けであるが、歴史用語がわからないと読んでもスッキリしない。伊藤俊一氏の『荘園』(中公新書、2021年)を読みながら作った索引が役に立つ。本書の158ページに出てくる「下地中分」(158ページ)とかは『荘園』では145ページに初出し168〜171頁参照とある。本当は『荘園』に荘園索引だけでなく、事項索引を載せるべきであったと思う。
概観にもどると、荘園とは何かで「わが国の荘園は、都市的・貴族的領有という基本的特質をもっている」(16ページ)と始まる。これを理解するために後続の9節を先に読む必要があった。律令国家は土地を国有とした。墾田永年私財法により私有地が認められることになった。
「すなわち、律令制的土地公有制の崩壊過程に生ずる私的な土地所有のすべてが荘園といわれるのではなく、王家をはじめ国家中枢に直接かかわる中央の権門勢家、ないしそれに準じ鎮護国家の役割をになう官社・官寺に対して、国家が公認した私的土地所有だけが荘と呼ばれるのである」(同上)。
高橋典幸氏によると戦後歴史学がマルクス主義歴史学(史的唯物論)の時代の研究テーマは封建制・領主制であったという。古代奴隷制から中世封建制への移行が研究された。このあたりは呉座勇一氏の本で毎回読まされるのであるが、全体的な把握が私にはできていないが、図式化できるほどそう単純なものではないと思う。
古代律令国家が解体過程をどう捉えるかは大きなテーマである。土地公有を前提に戸籍に基づく人頭税をとっていた時代から土地の私有を認めることで土地に課す税となっていった。すでに課税の観点からみると2つの体系が並立していたことになる。土地からの収奪が国司(国)と寺家や貴族で争われてきた過程を読んでいけば、都市的、貴族的領有の話がすんなり頭に入る。土地を巡って重層的な搾取構造になっていたことが荘園を分かりにくくしている。
注)本書は高橋典幸氏がいう「重厚な「概観」」(237ページ)とともに、9編からなる荘園と関わった人物の話からなる。解説の高橋典幸氏が節と書いているので、章としなかった。数字だけでは章と節の区別がつけにくい。
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