河内将芳『シリーズ・実像に迫る 012 戦国京都の大路小路』戎光祥出版、2017年
108頁の薄い本に目次、参考文献や年表の頁を除いてフルカラーの図版や写真が豊富です。このシリーズの『征夷大将軍・護良親王』(亀田俊和、2017年)を読んだときは旅行ガイドブックを見ている気分になった記憶があります。城塞都市と言われてもビジュアルでないと理解できないのが建造物です。『信長が見た戦国京都 ー城塞に囲まれた異貌の都ー』(洋泉社歴史新書y、2010年)では白黒図版のため少し分かりにくかったことを思い出しました。
平安京が大路と小路で碁盤の目となっていたのは以前習ったことです。
それが戦国時代には通り(とおり)と呼ばれるようになりました。初出は天文8年(1539)の「室町通」(『親俊日記』10月9日条)と高橋康夫氏の『京都中世都市史研究』(思文閣出版、1983年)に報告されています。
上京と下京の惣構の中に南北を竪小路、東西を横小路といい、大路は無くなっています。
城塞都市の町筋に木戸門(釘貫)があるのは、お城に門があるのと同じだと気がつきました。
そうした町を守った惣構や木戸門も秀吉が御土居(御土居堀)を造ると、不要となり撤去される運命となります。話はそこまででした。秀吉時代の京都鳥瞰図(イラスト:黒澤達矢、監修:山田邦和)がP94、95に見開きであります。これを見ると、御土居の壮大さが分かりますね。
覚えておくべき用語
惣構(そうがまえ)P12
竪小路(たてこうじ)P28
横小路(よここうじ)P28
巷所(こうしょ)P29
町(ちょう)P30
両側町(りょうがわちょう)P31
釘貫(くぎぬき)P35
#河内将芳 #中世史 #京都
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