「細川ガラシャの味土野幽閉説を疑う」を読む

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森島康雄氏の「細川ガラシャの味土野幽閉説を疑う」(丹後郷土資料館調査だより第9号、2020年3月27日)を読む。

 

明智光秀の娘玉は細川忠興に嫁いでいたが、本能寺の変で、(離縁され)、丹波の三戸野へ送り帰されたと『明智軍記』や細川家の公式歴史である『綿考輯録』にある。それがいつのまにか丹後の味土野へ幽閉されたことになっている。森島康雄氏は史料を基に丹後の味土野幽閉説を批判した。

 

そもそも「幽閉」はヘルマン・ホイヴェルスの『細川ガラシア夫人』(昭和10年)で最初に使われたという。場所の問題もあるが、幽閉説が成り立つのかも怪しいという。

 

注)丹波は旧明智領、そこへ玉のお付きの家臣を付けて送るのは離縁と考えることが普通。幽閉説では離縁という点が浮いてしまう。

森永康雄氏の結論

「本能寺の変の後、玉子がどこに送られたのか。 その確実な答えに到達することは、同時代の史料がないために、ほとんど不可能である。しかしながら、本稿の検討を通して、残された史料からは、 一昔前まで通説であった丹波三戸野と考えるのが自然で、現在通説となっている丹後味土野幽閉説は、根拠が「本朝武林傳」の「傳」に記された「丹後国上戸」を端緒として次々に生み出されてきた伝説以外にはなく、史実とは考え難いことを示すことができたと思う。  古文書を読んだ経験が多少あれば思い当たることであるが、丹波の「波」と丹後の「後」という 字のくずし字にはよく似たものがあり、写し間違いが起こり得る。」(P7)。

https://www.kyoto-be.ne.jp/tango-m/cms/wp-content/uploads/2022/09/%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A%E7%AC%AC9%E5%8F%B7.pdf

最近、くずし字を毎日読むようにしている。仮名はだいぶ慣れてきたが草書の漢字は難物であると思う。詰将棋と同じであまりお金をかけなくても長く楽しめるのがよいと思っている(解けない、読めない)。初心者なので考えてもわからなければ答えを見ることにしている。詰将棋もそうしてきた。今は詰将棋が解けなければほったらかしている。そして気が向いたら何度もトライする。自分の思考の死角をなくす訓練である。詰将棋作家は正しく考えさせないように仕掛けているので、冷静に読めるようになるには自分の弱点を克服するしかない。解きやすい形とか解きにくい形がある。入玉形に手こずるには自分の思考に癖があるせいだ。

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