小林秀雄『モーツァルト・無常ということ』新潮文庫、1961年、2025年96刷
「無常」を扱ってきたので、どうしても小林秀雄を出さないわけにはいかなくなる。これはある年代以上のことだろうと思う。そうなると唐木順三も出てきて、3ヶ月の読書計画は、どうもその線で終わるような気がしてきた。
小林秀雄は「無常ということ」を『一言芳談抄』からの引用から始める。「恐らく兼好の愛読書の一つだったのであるが、この文を「徒然草」のうちに置いても少しも遜色はない」(p.84)とまで言う。その親和性があると思うので、「無常」について考えているのてある。
歴史とは何かを語りだすのであるが、川端康成に話したと言う「生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物」という考えを久しぶりに思い出した。
死者は歴史として動かないものとなるという逆説であった。
「この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである」(p.87)。
小林の言いたいことはわかる。死者は歴史として動かない存在である。
しかし、歴史というものが、常に現在から解釈され続けるものという歴史についての考え方からすると、不動の歴史という言い方はできない。死者とて常なるものと言うわけにはいかないのである。
注 小林秀雄が引用した「有云く、「比叡の御社に(以下、略)」を小西甚一校注『一言芳談』 の「一言芳談抄巻之下」pp.98-99で小西甚一はなま女房(若い女性)のことば『生死無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけたまへと申すなり』を『生死対立の世界が定まりないありさまを思いますと、この世はどうでも構いませんから、どうぞ後世をお助けくださいませと申し上げたのです』と現代語訳している。

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