『『兵範記』を読む』(2025)を読む

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元木泰雄『『兵範記』を読む 保元の乱の全記録』角川選書、2025年

栃木孝惟校注『保元物語』(岩波文庫、2025年)の本文以外が気になったので、元になった平信範(のぶのり)の日記である『兵範記(ひようはんき)と照らし合わせようと元木泰雄『『兵範記』を読む』を読み始めたら、古記録入門の手ほどきを受けているようで楽しくなった。

崇徳天皇の中宮聖子は皇子・皇女を儲けることはなく、崇徳の異母弟體仁(なりひと)親王を養子に迎えており、體仁親王が践祚して近衛天皇となった。近衛天皇と崇徳院は義理の父子関係になる(40頁)。

「近衛天皇が久寿二年(一一五五)に亡くならなければ、崇徳院政も実現したと考えられている。なお、『愚管抄』(巻第四)は、崇徳天皇から近衛天皇に譲位が行われた際、その宣命(せんみよう)に「皇太子」ではなく「皇太弟」と記されたとし、崇徳と近衛は父子ではなく兄弟とされたので、崇徳は院政が不可能になったとする。事実とすれば大事件だが、同時代の記録で確認できず、また近衛天皇が亡くなるまで崇徳と鳥羽との関係も破綻していなかったので、この挿話は疑わしい」(41頁)。

さて、栃木孝惟校注『保元物語』の校注者解説では、一 王家の確執にみる書かれなかった事柄として、『古事談』第二 臣節 巻二ノ五四「白河院、養生璋子に通ずる事、鳥羽院・崇徳確執の事」を採り上げている。

元木泰雄『『兵範記』を読む 』では、『古事談』の待賢門院(璋子)は「鳥羽の祖父である白河院と不倫関係にあり、彼女と鳥羽院との長男崇徳は白河の落胤であった。このため、鳥羽院は崇徳を祖父白河の子として「叔父子(おじご)」と呼んで忌避し、鳥羽と崇徳との間に軋轢が生まれた」(62頁)という説には否定的である。

「角田文衞氏(『待賢門院璋子の生涯』)は史実とし、NHKの大河ドラマ「平清盛」(二〇一二年放送)でもこの説話に基づく演出がなされた。しかし、近年の研究は不倫・落胤説に否定的である」(同上)。

「鳥羽院と待賢門院は七人もの皇子・皇女を儲ける琴瑟(きんしつ)相和する関係にあり、不倫による軋轢は考え難い」(同上)とする。

私も角田文衛著『椒庭秘抄 待賢門院璋子の生涯』(朝日新聞社、昭和五一年)を読んで、角田文衞が中宮の受胎期間や排卵日の関係を図解されたのを見て、執拗な追及をされたことに呆れたことを思い出した。元木泰雄氏は角田文衞説を否定したが、何故に『古事談』のような挿話が生まれたのかはわからないままである。

兵範記

『『兵範記』を読む』

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