『法隆寺を歩く』(2009)その2

読書時間

上原和『法隆寺を歩くと』岩波新書、2009年

著者85歳の法隆寺研究の集大成ともいうべき本であった。

フェノロサが夢殿観音の厨子を開扉させたのがいつかを巡って資料の突き合わせがされていた。和辻哲郎がフェノロサの遺著の記憶違いをそのまま使って間違った日付で『古寺巡礼』(大正8年刊)で書いており、改訂版(昭和21年)でも正されていないとdisっていた(pp.182-183)。このところは以前読んだ時の記憶に繋がった。この上宮王等身観世音菩薩木像は救世観音菩薩像と称されている。1884年ではなく1886年のことであった。フェノロサはどちらの年も法隆寺へ行っていたのだった。

そこのところを和辻哲郎『初版古寺巡礼』(ちくま学芸文庫、2012年)で確認してみた。和辻哲郎訳と上原和訳を読み比べても上原訳が断然よい。

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