『徒然草をよみなおす』をまた読み直す。

読書時間

小川剛生『徒然草をよみなおす』ちくまプリマー新書、2020年

「すべてを捨てる」生き方

兼好が「諸縁放下」とも呼ばれる主張を繰り返していますが、「しょせんはきれいごとに過ぎない」(p.34)と小川剛生氏はいいます。

その中で「空の名残」を取り上げて、当時の用法から解釈する方法は小松英雄の『徒然草抜書』(1990年)を読んでいるかのようです。

第20段

なにがしとかやいひし世捨人の「この世のほだし持たぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ

小川剛生氏はちくまプリマー新書にもかかわらず、あえて訳は載せませんというので、角川ソフィア文庫の現代語訳を見てみるとことにしました。

「第20段 誰がしとかいった世捨人が、「現世には何も束縛となるものを持っていない身にとり、ただ過ぎ去ろうとする時間だけが惜しく思われる」と言ったのが、本当にそうだと感じられる」(小川剛生訳注『新版徒然草 現代語訳付き』角川ソフィア文庫、2015年、p.285)。

「空の名残」を和歌の例を分析して「過ぎ去ろうとする時間の余韻」(p.39)や「時間の進行に対する哀惜の思い」(p.42)として訳していました。こうして第19段の「折節の移り変るこそ」に続く第20段が解釈されるのでした。

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