『村田エフェンディ滞土録』(2023)

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梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』新潮文庫、2023年
1.本書のあらまし
本書は百年少し前の物語である『家守奇譚』(新潮社、2004年)の綿貫征四郎の友人の話である。村田の話は「木槿」で出てくる。
エルトゥールル号遭難事件は明治23年(1890)9月16日に起こった。和歌山県の串本に行ったとき、トルコ軍艦(エルトゥールル号)殉難将士慰霊碑を見てきた。立派な石碑であった。この海難事故で日本側の救助および看護に感激したトルコ皇帝の招聘で村田がトルコの歴史文化研究のために訪れたことを記したのが土耳古滞在記であるという設定である。なお、この海難事故は日本とトルコの交流に繋がり、エルトゥールル号の恩返しというしかない事態が1985年のイラン・イラク戦で起こったのは記憶しておく必要がある。
本書はトルコ皇帝の招聘で歴史文化研究のために4年の留学費用が出たという設定である。九年前に起こった惨事(p.13)というから、村田は少なくとも1899年に招聘を受けたことになる。イギリス人のディクソン夫人の家に下宿していた。そこには独逸人のオットー、希臘人のディミィトリスが下宿人でいた。ムハンマドはディクソン夫人の使用人である。身分は奴隷という(p.98)。村田は途中で急遽帰国して綿貫の所に厄介になるのである。これで『家守奇譚』と繋がる。帰国後7、8年で青年トルコ革命(1908年)があったというので、1900年か1901年には帰国している。短い滞在期間である。青年トルコ革命ではサロニカでの騒動でディミィトリスが死亡した。1915年4月のガリポリの戦いでケマル・パシャに従った登場人物のムハンマドは戦死し、ムハンマドの死を確認したオットーも翌日には戦死しているとディクソン夫人の手紙が伝えている。そして、ムハンマドの飼っていた鸚鵡がイギリスへ帰国するというディクソン夫人から船便で届けられたところで、物語は終わる。
2.アルメニア猶太人
「行商人は大抵、アルバニア希臘人かアルメニア猶太人で、暮らし向きは良さそうに見えない」(p.21)。
アルバニアの希臘人は少数民族である。
梨木香歩氏は「アルメニア猶太人」としているが、ユダヤ人とアルメニア人はどちらも交易ディアスポラであることは、最近読んだ本で確認している。しかし、「アルメニア猶太人」というのはアルメニア地方の猶太人というくらいの意味であろうが、何が言いたいのか意味がわからない。アルメニア人とユダヤ人は別々の民族であり、アルメニアのユダヤ人というのは、ちょっと不明な言い方である。梨木香歩氏は本書を書くにあたり相当の本を調べたとしているので、何か根拠があるのかもしれない。
当時のアルメニアはロシア帝国とオスマン帝国の領土となっており、独立国ではない。「帝国臣民を形成しているのは、土耳古人、猶太人、アルメニア人、希臘人、の四種だ」(p.100)と書いているので、アルメニア人とユダヤ人は別であることは理解している。アルメニア人は交易商人として日本にまで来ていたことは重松伸司氏の『海のアルメニア商人 アジア離散交易の歴史』(集英社新書、2023年)に詳しい。フランチェスカ・トリヴェッラート、玉木俊明訳『世界を作った貿易商人 地中海経済と交易ディアスポラ』(ちくま学芸文庫、2022年)でもユダヤ人(特にイベリア系ユダヤ人のセファルディム)とアルメニア人が扱われていた。トルコ帝国のどこにユダヤ人がいたのかはわからない。これはどこかで調べてみたい。
3.使われたラテン語
「西洋古典学者・山下太郎氏に、貴重なご示唆をいただきました。」(p.227)と謝意が記されていたので、ラテン語のことだと思った。原文を調べてメモしておく。
ディミィトリスが呟くラテン語は、
「私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない」(テレンティウス)p.80、210
Homō sum. hūmānī nīl ā mē aliēnum putō.
ディミィトリスの呟きが何語か書いていない。「人は過去なくして存在することはできない」(p.29)。
これは英語なのだろうか。村田はラテン語を解さないという(p.61)。日本語はネットにないようなので、Google翻訳でラテン語にしてみた。しかし、この翻訳もネットにはない。
Homō non potest esse sine praeteritō. (Google 翻訳)
鸚鵡の啼き声は意味深である。
「悪いものを喰っただろう」「友よ」「いよいよ革命だ」「繁殖期に入ったのだな」「失敗だ」などはムハンマドが鸚鵡を見つけた時にすでに知っていた言葉だ。新しい言葉も覚えた。「もういいだろう」という。「It’s enough!」をムハンマドが口癖で使っていたのを鸚鵡が覚えたものだ。そして、「楽しむことを学べ」(p.60,p.220)も鸚鵡から村田が教わった言葉という。
Disce gaudēre.
オットーが鸚鵡へ怒鳴り返したのは
「我らに平和を与えよ」(p.61)
「Dōnā nōbīs pācem」
注)長音記号は省略されていたので、webで調べて付けている。

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