『古典と日本人』(2022)

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前田雅之『古典と日本人「古典的公共圏」の栄光と没落』光文社新書、2022年

書誌情報
各章末に注がある。索引はない。
読んでおきたい古典(現代語訳・注釈書)10選

序章 古典を学ぶことに価値や意味はあるのか
著者は「古典的知をもつことは、常に、現代を相対化しうる視点をもつことを可能にするのである」(p.32)ことに「加えて、日本という国に生まれ生きるということは、古典・古典語という文化伝統をもった国に生まれ生きるということを意味する」(同上)という。〈宿命〉であるというのである。
第一章 古典意識の成立
著者によれば、「世界、とりわけ前近代の世界は、古典・古典語をもつ国・地域とそうでない国・地域という二つの領域に分かれている」(p,36)という。
一つは、「古典・古典語をもつ七つの国・地域〈前近代文明社会〉」もう一つは、「古典・古典語をもっていない国・地域〈無文字社会〉」である。
〈前近代文明社会〉は漢字文化圏、チベット語文化圏、サンスクリット語文化圏、アラビア語文化圏、ギリシア語文化圏、ラテン語文化圏、ヘブライ語文化圏であるという。
〈無文字社会〉は川田順三『無文字社会の歴史』があげられていた。
七つの国・地域の古典といわれる宗教経典、思想哲学、倫理道徳、史書類について列挙した後、日本における古典の中の古典は『古今和歌集』『伊勢物語』『源氏物語』『和漢朗詠集』であるという(pp.47-48)。日本においては文学書が古典の中の古典であるのは特異な現象であるという(p.48)。
第二章 古典的公共圏への先駆
古典とは何かについてようやく定義が与えられる。
「〈前近代文明社会〉においては、注釈、注釈書をもつ権威を有する書物が古典であった」(p.69)という。
注釈書により権威付がされていることが「古典」の基準だというのだ。「一般社会通念としての「古典」とは、歴史という長い時間の中で、他者の視線に耐え抜いた書物を指すことが支配的」(同上)にもかかわらす著者はそう主張している。
そして、古典注釈の始まりを論じる。
第三章 古典的公共圏の確立
ここにきて、「古典的公共圏」という副題の定義が与えられる。
「古典的公共圏とは、古典的書物(『古今集』・『伊勢物語』・『源氏物語』・『和漢朗詠集』)の素養・リテラシーと、和歌(主として題詠和歌・本歌取り)の知識・詠作能力とによって、社会の支配集団=「公」秩序(院・天皇ーー公家・武家・寺家の諸権門)の構成員が文化的に連結されている状態を言う」(pp.124-125)。
「古典的公共圏」は著者である前田雅之氏の造語であることが分かる。ユルゲン・ハバーマスの公共圏あるいは公共性の概念を借りて造られたものである。
「古典的公共圏」の成立時期を後嵯峨院時代(一二四六〜一二七二)としている。根拠として、『後拾遺集』と『金葉集』という二度の勅撰集を後嵯峨院が命じたことと、『十訓抄』などの古典のパロディーが現れたことをあげている。
以下、第四章 古典的公共圏の展開、第五章 古典的公共圏の繁栄、第六章 古典の末路で古典的公共圏の歴史が辿られる。
終章 古典の活路
日本の近代が古典的公共圏を捨てことが問題であるという。歴史好きな日本人に人気のある小説家の司馬遼太郎は、歴史研究者に批判されたが、前田雅之氏は手厳しい批判を浴びせている。
司馬遼太郎の『関ヶ原』(一九六六)について、「幽斎・忠興の描き方を見る限り、司馬自身に古典的教養はさしてあるとは言えなかった(以下省略)。司馬は幽斎・忠興の教養に関する具体的な中身を書くことができなかったのである。要するに、司馬の歴史理解とは、前近代における古典的公共圏に対する無視や無知を、さまざまに雑多な知識を動員することによって糊塗していただけに過ぎないのであった」(pp.286-287)。
司馬遼太郎の古典的教養については、分からないが、第四章の古今伝授について、細川幽斎の教養を詳しく書いた前田雅之氏にしてみれば、司馬遼太郎の関心のなさが気に入らないのだろう。
前近代文明社会は、古典をアイデンティティとした。グローバリゼーションが経済価値に基づく以上、前近代文明社会と対立する。宗教的価値を社会を保つために重んじる社会では、子供の頃から、宗教書に親しむ。むしろ、強制させられる。躾けられるのである。
日本人がアイデンティティを失ったというのは、古典を失うということであった。注釈書に基づいて、先に挙げられた4つの古典を読みたいと思う。まだ、『和漢朗詠集』は読んだことがないのである。
注)第四章では、『百人一首』の定家撰について、「最近、否定されている。否定説が定説となるだろう」(p.171)とコメントがあったので、ちょっと調べてみたのでメモしておく。
早稲田大学体験WebサイトのYouTubeが15分54秒なのでリンクを載せておく。
田渕句美子氏の下記論文や、『国文学研究資料館の創立50周年記念式典の基調講演「『百人一首』と『百人秀歌』をめぐって」(2022年5月23日)、「『百人一首』をゼロ時間へ」『図書』2022年9月号、岩波書店

田渕句美子「『百人秀歌』とは何か」、中川博夫、田渕句美子、渡邉裕美子編『百人一首の現在』青簡舎、2020年

田渕句美子「『百人一首』の成立をめぐって―宇都宮氏への贈与という視点から― 」『中世宇都宮氏(戎光祥中世史論集9)』 第九巻 p.p.255-279 2020年1月
講義『百人一首』の謎

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