森浩一『万葉集に歴史を読む』ちくま学芸文庫、2011年、2018年第4刷
書誌情報
書き下ろしである。
先斗町の居酒屋でお見かけしてからもう何年も経った。2013年に亡くなられているので、最後の頃の本だと思ってwikiを見たら載っていない。京都の歴史を足元からさぐるシリーズの6巻本のうち、嵯峨・嵐山・花園・松尾の巻、丹波・丹後・乙訓の巻、宇治・筒木・相楽の巻も載っていないではないか。wikiはそんなものなのか。
有馬皇子についてはこの本のはじめに触れられていただけで本文にはなかった。すでに本にした内容なので森浩一編『万葉集の考古学』(筑摩書房、1984年)を読むしかない。すなわち、ポチる。
森浩一氏が佐々木信綱編の岩波文庫版から始めたというのを読んで、岩波文庫の奥付を見たら1927年が初版で、1979年第60刷であった。森浩一氏が1941年に第17刷を手にしたのは、1954年の改版前のものである。同じ岩波文庫を読んでいることに親近感を覚えた。確かにこちらには新訂と入っている。森浩一氏が旧制中学時代に読んだものは『白文万葉集』、今でいう『原文万葉集』ではない。『白文万葉集』の奥付は1930年第1刷で1977年第12刷であるからである。
これを機会に最新の『萬葉集』に切り替えるかどうか。保管スペースの都合もあり悩ましい。訓読は変わっても、原文はそう変わりはないと考えているからである。
書誌情報について私事を含めくどくどと書いてきた。森浩一氏の本は文学史ではなく、考古学と文献史学を合わせた古代学の視点で『萬葉集』を扱っている。したがって、地名をおろそかにしていない。本を読み進めるにしたがい最近の研究を取り入れた『萬葉集』を手元に置く必要を感じた。佐々木信綱編は注がほとんどないのである。かといって佐々木信綱以外の訓読の『萬葉集』を読む気になれないという慣れの問題もある。日本古典文学大系本は谷沢永一氏によって否定されているし、今更のような気もする。
萬葉仮名を書き下しでどう扱うかについて森浩一氏は当時の読み方を重視している。
倭を大和と置き換えることに関して慎重である。『萬葉集』では左注に1件事例があるだけで、歌には「大和」は遣われていない。「大倭」が「大和」となるのは『続日本紀』の天平宝字元年十二月が初出である。
巻十四の東歌や巻十五の天平八年の遣新羅使関係の歌は『萬葉集』の中でも馴染みのない歌であったが、森浩一氏の解説によって面白く読めた。遣新羅使の大使は使いを果たせず自死しているなど『萬葉集』に載せた理由がわかるような気がする。悲劇の旅であった。
読んだことなどすでに忘れているので、『萬葉集』を読むには先達について読むのがよいと改めて思った。第六章 天平八年の遣新羅使関係の歌は古地図や背景など説明がなければ、退屈な旅の話になってしまう。森浩一氏の面目躍如たるものがあった。
コメント