思想史講座の行方

断片記憶

子安宣邦氏の思想史講座も今年が最後かもしれない。2022年「思想史講座」は、ホームページによると次のタイトルになっていた。

『神(かみ)と霊魂(たま)ー宣長と篤胤の国学思想

子安宣邦氏によると全5章となっていた。

第1章 1「神」とは何か 神はカミなりー本居宣長の「神」の注釈

    2「神」とは何か 神はカビなりー平田篤胤の「神」の解釈

第2章 「神の道」の成立ー『直毘霊』道ということの論(あげつら)い

第3章 「あの世」と死後霊魂の行方

第4章 「幽世」と幽冥の神ー篤胤『古史伝』第二十三巻より

第5章 天主教的な神と教えの受容ー平田篤胤『本教外篇』より

国学者である本居宣長の研究から始め、平田篤胤を研究の対象とした子安宣邦氏が長い研究人生の中で二人を何度も論じてきたことは、この二人に関する著述の量が物語っている。一方で儒学者である仁斎や徂徠に関する著作も多い。日本思想史家としての幅の広さであろうか。

20224月は第2章であり、テキストは直毘霊の現代語訳を含め全25ページとなり、講義では必要な箇所に限って読まれた。

『直毘霊』を「なおびのみたま」と読めれば大したものと思う。平田篤胤の『霊能真柱』を「たまのみはしら」と読めるようになったのは、思想史講座に参加してからだった。普通の読書生活では遭遇しないからである。

『古事記伝』第1巻に付された『直毘霊』のタイトルの意味がわからなかったが、テキストに説明があった。『古事記伝』第1巻を読んでいた時は、禍津日神の御所為(みしわざ)を直す神直毘神、大直毘神の御霊(みたま)からとった題名であることは想像がついたが、『古事記』本文にこれらの神がどのように書かれていたかは調べていなかった。

「最後に『直毘霊』という書名について説明しておきます。直毘神(なおびのかみ)とは、黄泉(よみ)の国から逃げ帰った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が竺紫(つくし)の橘の小門(おど)の阿波岐(あわき)原で禊ぎをするが、その禊ぎによって身に付いた汚れによる禍(まが)を祓(はら)い直そうとする際に成る神です。したがって「直毘霊」とは禍を直してもとの清々しいあり方に直す働きをする御霊(みたま)ということです。禍を直すとは、漢意(からごごろ)という異国の風を祓い去って、もともとの清々しい御国の風に直すことを意味します」(テキストp.5)。

ここでは異国(まがつくに)、風(てぶり)という読み仮名は省略されているようだ。宣長の穢い言葉遣いを感じる。このようなイデオロギーの書を読むのは精神衛生上あまり好ましいことではないので、宣長を長く読むことはしない。

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