『江戸の学びと思想家たち』(2021)

Goinkyodo通信 読書時間
辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』岩波新書、2021年
前田勉氏の『江戸の読書会ーー会読の思想史』(平凡社、2012年)を読んだ時は、それほどでもなかったが、コロナ禍でオンライン読書会がTwitterのTLによく出てくるようになった。私も去年参加したことがある。学びは一方的ではあり得ないので「会読」という読書会はこれからも続くのだろう。
江戸時代の学びは儒学の学びだった。儒学は「素読」から始まる。「素読」は「テキストの身体化」(41ページ)である。その後、「講義」「会業(かいぎょう)」「独看(どくかん)」へと進む(42ページ)。「会業」はグループによる共同学習である。読書会に近いという。
知の獲得に関して、江戸時代の民衆は「手習塾」で書くことから始めるのに対し、武士階級の学問は経書の「素読」から始める。テキストを講師が読む通りに声に出して読むこと、暗誦することが最初に行われた。意味はわからなくてよいのである。いずれにしてもテキストというメディアの存在抜きには語れない。テキストに基づいて学びながら、多様な思想を生み出した江戸の教育メカニズムが考察される。
辻本雅史氏はメディアの重要性を指摘している。
「学校教育に〈適応しない/適応できない〉子どもたちが確実に増えている。学校は時代に合わなくなっているのではないか。年齢で区切った数十人の子どもたちに、一斉授業で教えるという近代学校のシステムは、歴史の役割を終えた、そう考えるようになった」(229ページ)。
メディアの観点から見ると「学校も知を伝えるメディアの一つであると思えてきた。いまやメディアの視点を組み込まなければ、教育の問題は語れない、そう確信している」(230ページ)という。
こうして、江戸時代の思想をメディアの観点から見ていく。山崎闇斎は「講釈」という方法で弟子に教えた。伊藤仁斎は同志と「会読」をしたが、本を出版しなかったので、入門する以外に彼の知へのアクセス方法はなかった。荻生徂徠の「看書」は徂徠が南房総で独学したことがもとになっている。徂徠は出版に力を入れたが、主著は弟子が徂徠の死後に出版している。貝原益軒は14歳で「素読」をしたというので随分と遅い。後に膨大な商業出版を行なって読者を作った。これらの思想家は「素読」で学んだあとは独学である。石田梅岩は「素読」をしていないという。本居宣長や平田篤胤のところでは「素読」には触れられていない。篤胤に至っては学問の形成過程は不明としている。本居宣長が京都に遊学して堀景山塾で医者になるために、まず儒学を習った。しかし、『在京日誌』がある時を境に漢文から和文になったという(187ページ)。商人の道で挫折した宣長が医者になるために漢文を必要としたが、儒者になるわけではなかった。
辻本雅史氏があとがきに書いていた研究会が気になったが、これは直接先生に聞いてみるよりしかたがない。
「子安宣邦先生(当時、大阪大学教授)が主導された研究会があったことも付言しておきたい。一九九〇年代に一〇年ほど続いたその研究会では、思想史研究の方法論をめぐる議論が多く交わされた。思想家の内部に思想を読み込む思想史を排し、外に発せられた思想言説のもつ意味を、歴史空間・言説空間のなかでとらえる思想史の方法を、私はそこで学ぶことができた。梅岩と石門心学をメディアの観点からとらえた発表をしたのも、この研究会においてのことだった」(231ページ)。

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